福冨七郎左衛門尉疾風録

石見国浅利村・四ッ地蔵城主福冨氏5代録

帰国

 

 文禄四年(一五九三)閏の九月、吉川広家は太閤秀吉の命により諸将とともに帰国することとなった。

 このとき春昌も帰国した。

 朝鮮釜山浦上陸以来三年半にも及ぶ朝鮮進駐であった。

 これにより、守備隊として朝鮮に残留したのは釜山城に宗義智有馬晴信松浦鎮信、大村純宣、加徳城に島津義弘の子忠恒のみとなった。

 

 春昌は釜山を出航してまもなく病み臥せった。舟酔いのせいだろうと思っていたが、どうにもいけないのだ。体がだるくて起きあがる気が湧かない。痛さはない、ただ、しんどいのだ。

 三年半にわたる朝鮮在陣のあいだに積った病魔が一気に活動をはじめたようだ。

 ただ、じっと横になって回復を待つしかない。

 船内でたむろしている兵の顔が暗い。待ちに待った帰国だ、もっと明るい顔を見せてもよかろうに、ただ、黙って横臥している。緊張が緩んで気抜けしているのであろうか。

 静まりかえった船内に舵柄の軋みが響いていた。

「帆に西風をはらんで、舟はすばらしい速さで名護屋に向かっています。対馬も通過しました、壱岐も立ち寄らないようです」

 弥助がいきいきと目を輝かせて報告にくる。

 やっとのことで日本へ帰ることができる喜びとは裏腹に身体が動かない。

 

 名護屋に着いた、夢にもみた日本である。

 意気揚揚と四ッ地蔵城に帰りたい。だが春昌は臥せたままである。ときどき上半身を起してみるが、なんとなくもの倦げで動く気が起きない、大きななため息だけがとめどもなく出る。

 吉川広家名護屋で解散して旗本衆とともに石見に向かった。

 あとの将兵は、三々五々自領に帰っている。

「さて、どうするか。しばらくは名護屋に留まって身体の回復を待つしかあるまい」

 体の自由が利かないせいであろう、旅をする気が起きない。

 陣屋には、かなりの人数が残っている。春昌と同じように病を持っているため動けないらしい。

 春昌は暗い室内に横たわった。

 屋根を鳴らしていた雨音に庭の土を叩く音が加わった、豪雨になったようだ。 

 翌日早朝のことだった。弥助がひとりの男を連れて来た。

「内田屋の手代総兵衛でございます。名護屋で解散なさると聞いて、ぜひともお連れしろとの旦那さまからの命を受けて参りました。名護屋に着いたものの何処に居られるのかと心配しておりましたが幸にもお会いできました」

「手代どの直々の出迎えか、ありがたい。このとおり病にかかり、どうしたものかと思案していたところでござる」

「お身体の具合はいかがでございましょう。痛みは、ございませんか」

「痛みは無いが、とにかくだるくて動けない」

「わかりました、医者に診てもらいましょう。」

 その日、総兵衛は一日中走りまわって医師をさがしたが見つからなかった。

「ひとまず博多へお越しください」

 総兵衛は博多行きの舟を手配していた。内田屋と商売仲間の舟を見つけて、話をつけたようなのだ。

「さすがに手代どのの気配りはゆきとどいているの」

 春昌が感嘆するほど、総兵衛の動きは如才ない。

 左兵衛と弥助は馬を連れて陸路を博多へむかった。

 

 内田屋の前で千太郎と夕が出迎えている。千太郎は、先年父が死去したあと家督を相続し孫兵衛を襲名したばかりである。

 春昌にとって夕に逢うのは初めてである。父明尊からは、「博多に八神屋の娘が嫁いでいる」といった程度しか知らされていなかった。

 夕は五十五歳になっていた。天正十三年に博多へ引き取られた夕の母さちは六年前七十三歳で死去していた。

「お帰りなさいませ、ご苦労さまでございました」

「お世話をかけます。父明尊が『もし余裕があるなら夕どのにお逢いして来てくれ』と言ってたものですから、お迎えの方についてきました」

 千太郎と夕が走り寄って、春昌の両脇を抱えた。夕は父明尊の名を聞くと泣いていた。陸路を急行した弥助の知らせを受けて、医師も待っているという。

名護屋では病気の方々が多く、医師はてんてこ舞いでございます。診察は十日後になると言われましたので、博多までお連れしました」

 総兵衛が恐縮しながら千太郎に説明している。

「今回の朝鮮出兵では、そなたらも大変だの」

「朝鮮との交易も軌道に乗り、うまくいっていたのですが、すべてが消えてしまいました。八神屋さんも難儀をなさっておられることでしょう」

 内田屋も三艘の大船を持っているが、朝鮮への軍需物資運搬のため徴用されている。八神屋の持ち船も、すべてが徴用されていた。海商である内田屋や八神屋にとっては、朝鮮との交易も途絶え、持ち船も取り上げられている。そのうえ、日本の海軍は朝鮮の李舜臣率いる朝鮮海軍に完膚なきまでに叩きつぶされ、多くの日本船が海の藻屑と消えている。

「八神屋さんも、私も、玉鋼を主な商売としております、重量物ですので船がなければ仕入れも思うようにいきません。今は漁船のような小さい船で細々と仕入れております。ですが売りの方は引っ張りだこで、今までより数倍の値で売れております」

「まさに、丘に上がった河童です」

 内田屋は磊落に笑いとばしたが、日本の海運業界は、まさに存亡の秋に直面していた。

 内田屋の離れ座敷に落ち着くのを待って医師が診察を始めた。

「これは、腫気という病(脚気)でして船乗りに多い病気です。身体が必要とする滋養が長いあいだの戦陣で欠乏したために発症するもののようです。非常に怖い病気でして、ほっておくと生命を失うほどの病です。こたびの高麗出征でも、ずいぶんたくさんの方が亡くなられたようです。でもご心配にはおよびません。病といっても身体が壊れているわけではないので、滋養をつければなおります。魚では、ウナギが良いです。豆類も多く摂ることです。それに鳥目(夜盲症)になっているようです。これには、いい薬があります。これは鯨の肝油といいまして、鳥目の特効薬でございます。腫気にも効き目があります。」

「鯨…」

「鯨は薩州から紀州にかけての太平洋にしかいない魚、いや海に生息していて魚の形をしているが魚ではなく動物に部類される生き物です。人間と同じように子供を産んで乳で育てます。体は、とてつもなく大きく十間(十八メートル)を越えるものもいるようです」

「そんなに大きなものをどうやってとるのでしょうか」

毛利水軍熊野水軍で小早という舟がありますね、あれと同じような舟に十人ほどが乗って、何艘もが連携をとりながら鯨に銛を投げつけて仕留めるのです。なにしろ得物が大きいですから何刻も追跡しなければなりません」

「一日中、追いかけまわすことも、めずらしくないそうです」

「危険も多いのでしょうな」

「そりゃーもう大変らしいです。ですが鯨は図体は大きいですが人間を食べませんので、食べられてしまうことはなく、尻尾で舟を叩き壊されたり、ひっくり返されたりして犠牲がでるようです」

「そのように苦労して捕るということは、この薬も高価なものなのでしょうの」

「鯨油は体の脂肪を搾ったもので大量に取れます。肝油は肝からしか取れませんので量も少なく高価です。でも、効き目は驚愕に値します」

「ま、ひとつ呑んでみてください」

 医師にすすめられて、小さな杯八分目に入れられた肝油を口にした。

「う…」

 目を白黒させてゲボッとえずいた。

「呑みにくいものだの」

「『良薬は口に苦し』といいます。わたしも飲んだことがありますが、鼻をつまんで、呼吸を止めて一気に飲みました。でも、効き目は絶大です」

 孫兵衛が笑っている。

 夕からすすめられた口直しの菓子を、ほおばって春昌が一息ついた。

「一日一杯ずつ飲めば五日ほどで回復に向かうでしょう。あとは、のんびりと休養しながら滋養をつけていけば元気になります。何回も申し上げるようですが、お身体そのものに傷があるわけではありませんので、滋養をつければ完治します」

 腫気の怖さは春昌も知っている。高麗では腫気を患うもののうち十人に八人は相果てると怖れられてきた。

―ついに儂もかかってしまったか。

 絶望感が春昌を襲う。それにしても、帰国してから発症するとは運がいい。

 

 春昌は、内田屋で養生することとなった。

 左兵衛と弥助を石見へ帰した。

「ひとまず帰ってきます。殿さまのことなどを報告し、直ちに、こちらへ引き返してきます」

 内田屋から存分の旅費をもらい、二人がうきうきとした顔で出発した。

 

 夕が親身になって世話してくれる。

「母とわたしは大殿さまに助けられました。こうして今のわたしがあるのもすべて大殿さまのお陰です」

 夕が山中の炭焼き小屋から、八神屋へ引き取られ、與次郎兵衛の娘として内田屋に嫁いだことを話した。

「なんと、そういうことでしたか、父は何も言いませんでした。儂には恐いだけの父でしたのに、そんな優しいところもあったのですか」

 春昌が快活に笑った。久しぶりに話す日本女性の声は荒みきった心を和ませてくれる。

「ぜひ、大殿さまに博多へおいで頂きたいところですが、わたしどもからお願いするのは僭越すぎると思い、どうしたものかと悩みながら今にいたっております」

 夕が口癖のように言い、そのつど涙ぐむ。

「父は六十三歳になりましたが、とても元気です。怪物ですので、まだまだ彼岸へは行かないでしょう、儂からも言ってみましょう」

 人生五十年と言われていた時代のことである、四十歳を過ぎると老人と見られていた。

 春昌は、もはや高齢の域に達していたのである。

「ありがとうございます。そうしていただければ、どんなに嬉しいことでしょう。江津の八神屋さんへはしょっちゅう船をだしておりますので、船旅をお楽しみいただきとうございます」

 孫兵衛と夕が、手をとりあわんばかりに喜んでいる。

 春昌は毎日一回飲まなければならない肝油に閉口していたが、効き目はまさに驚嘆に値した。

「日ごとに目が見え、元気が湧いてくる」

 確かな手応えを感じていた。

 帰国後、寝てばかりいた春昌も十日目頃からは少しずつ外に出るようになってきた。博多の湊に行き忙しく動き回る大小さまざまな舟をあくことなく見ていた。

 春昌は、ごちそう攻めにあっている。毎日わずかばかりの米に雑草をいれた雑炊で食いつないできた高麗在陣中のことを思うと、まるで夢のような毎日である。

 今日は、どこどこに美味しい菓子があったからと買ってくる。

 春昌もめずらしい菓子をみると「これは、どこの菓子か」と聞きながら、つい、手をだしてしまう。

「山の家にいたころのことは、ほとんど覚えていませんが、大殿さまに頂いたお菓子の甘さが強烈な印象として残っております。…今でも甘いものが好きなんです。」

 五十五歳とは、思えぬほどの若さを保った夕が、ふと、はずかしそうに微笑んだ。

「ただひとつ、あのころの記憶のなかに、夢であったのか現実だったのか、はっきりしないのですが、冬の暖かい日でした。母は、夜まで帰ってこないので、ひとりで遊んでいたのです。いつもは家の前で遊ぶのですが、家の近くに、下の村が見える場所があったのです。そこは、日当たりも良いから、よく行きました。ひとりで遊んでいるうちに寝ていたのです。ふと、目が覚めたら私の横で大きな熊が寝ていたのです。怖くはありませんでした。大きな熊の腹に寄り添って寝ていました。私が目を覚ましたら熊は立ち上がって山の中に入って行きました。あれは、きっと私を守ってくれていたのだと思うのです。狼や山犬や狐の多い所でしたから、私が起きるまで熊のふところに抱いて守っていてくれた。そう思うのです。夢だったのかもしれませんが。」

「獣といえども、我に危害を加えない者には攻撃しないという。本当のことかもしれないの」

「でも、そのことを、母に言ったら、その後は家から出ることを固く禁じられました」

 だから、本当のことだったのかもしれない。と、夕が自分に言い聞かせるように言った。

「本当に私は大殿さまに、いい人生をいただきました」

 つと、我に返った夕が、「あ、そうそう」と言いながら奥の座敷から懐剣と小さな布袋を持ってきた。

「これは、大殿さまのお母様にいただいたものなのです。博多へ嫁いでくるときに、お母さまは「母の形見です」と、私にくださったのです。…大切なものをいただき、…ただただ…恐縮するばかりでした」

 懐剣を帯にはさみ、布袋から木の切れ端を取り出した。よく見ると、木彫りの仏像のような形をした一刀彫人形だった。脇差の刃先で彫ったらしい目鼻と口が人形であることの証だ。

 夕の瞳が焦点を失っていた、かすかに残る記憶のなかを覗いていたのである。

「五十年前、大殿様が私のために作ってくださったのです、一生大切な宝物です」

愛しそうに、人形をなでる手がわずかに震えていた。おおつぶの涙が頬を伝わった。