福冨七郎左衛門尉疾風録

石見国浅利村・四ッ地蔵城主福冨氏5代録

丸山城

 天文十二年(一五四三)に種子島へ上陸した鉄砲も天正のころになると、戦場での重要な兵器となっていた。

 御屋形(小笠原長旌(ながはた))の居城彌山城では、鉄砲に対する防禦に不安がでてきた。

 天正十年(一五八二)初春から天正十三年(一五八五)七月までの三年を費やして邑智郡三原村の丸山(四八〇メートル)に要害を築き、四国遠征から帰国した八月、居城を移した。丸山城である。その規模は東西二ヶ所に大門があり、掘矢倉は三重となって、高石垣の上に馬場あるいは塀、櫓を構え、要所には切通し櫓を建てた。

 中国地方無比の名城月山富田城をしのぐほどの城となった。これほどの城を三年もかからずに完成させたのは、小笠原家臣団には春昌のような城持ち武将が多く、各々が寄り集まって築城したからである。それに長年にわたって銀山を領していたころの蓄えがあった。銀を手にしていた強みであった。

 天正十三年八月丸山城入城当時、小笠原長旌の領地は、次のとおりであった。(『島根県史』)

一、三原四ヵ村(田数八十四町六反半三升 この六百六石七斗八升)

一、上下湯谷村(田数三十町八反九十歩 この取米二百八石五斗)

一、三又村(田数十八町六反三百十歩 この取米百五十一石六斗三升)

一、同 (田数四十四町九反大四升 この取米三百石四斗一升)

一、下君谷村(田数四十四町半十歩 この取米二百八十七石九斗六升)

一、下君谷分郷(田数四町六反三百三十歩 この取米二十五石三斗七升)

一、川下り村(田数五十四町三反大五升 この取米三百八十七石二斗九升)

一、川本村(五十六町三反歩 この取米三百九十九石三斗)

一、井原村(井原丹後守より入 田数、取米不明)

一、上日和村(井原丹後守より入 田数、取米不明)

一、大貫村(田数一町五反 この取米四石三斗三升)

一、谷村(田数七町四反半三十歩 この取米四十七石三斗)

一、住郷村(田数十二町一反三百五十歩 この取米六十五石九斗一升)

一、南川登(田数四十七町九反四十歩 この取米三百四十五石一斗三升)

一、北川登(五十七町六反半九升 この取米三百二十三石二斗三升)

一、下川戸村、上川戸村(永銭四十五貫文)

一、八神村、大田村(永銭三十貫文)

一、田野村、千金村(永銭七十貫文)

一、浅利村(永銭十七貫文)

一、佐野村(永銭百十五貫文)

一、長安七ヵ所(百十九貫文)

一、下都冶村(田数二十四町七反六升 この取米百十八石四斗)

一、福光之内(田数六町三反六升 この取米五十九石六斗)

同じく福光之内(田数四十二町四反少三升 この取米三百三十六石九斗)

一、井尻村(田数四町四反 この取米二十七石六斗一升)

一、福田村(田数十七反少三升 この取米七十石三斗六升)

一、横道村(田数十三町二反半三十歩 この取米九十六石四斗四升)

一、大宮村(田数百六十五町八反歩 この取米千百六石七斗)

一、租式村(田数二十五町二反大二十歩 この取米百六十五石八斗五升)

一、白圷村(田数二十三町四反少三升 この取米二百六十九石七升)

一、三楠村(田数二十三町四反少三升 この取米百七十七石四斗)

一、佐摩村(田数三十八町三反半 この取米二百五十一石八斗七升)

一、赤波村(田数七町五反大三升 この取米四十二石六斗) 

一、市ノ原市(田数三十七町六升 この取米二百五十一石五斗二升)

一、久利村(田数、取米不明)

一、松代村(田数、取米不明)

一、川合村(田数五十七町二反三百四升 この取米三百八十一石六斗三升)

一、吉永村(田数六十七町二反 この取米四百六十石八斗)

一、延里村(田数、取米不明)

一、鳥井村(田数三十七町一反歩  この取米二百二十七石四斗八升)

一、大田南村(田数百三十一町九反半五升 この取米九百五十石七斗五升)

一、出雲国(永銭五百貫文)

 総計一万七千石ほどである。

 その所領は、江川以北、川本から大田、西は江川流域一帯から大田までという広範囲なものになっていた。