福冨七郎左衛門尉疾風録

石見国浅利村・四ッ地蔵城主福冨氏5代録

秘剣・稲妻

 天文二十一年(一五五二)夏、

 太陽が山の陰に没して、西の空を茜色に染めていた最後の光も、わずかばかり残すだけとなっている。

 音もとどかぬ遠いかなた薄暮の空に、くっきりと立ち上る入道雲のなかで、しきりに稲妻が奔っていた。

 雷神が雲中で暴れまわっているらしい。雲のなかだけが煮えくりかえっている。めずらしい現象だ。

 雷神の正体を掴みたいと瞬きもしないで入道雲を見つめているが、雷光は、明尊の視点をみごとに外し、とんでもない場所で奔る。はっとして視線を移した明尊が掴みえるのは光りの残影だけであった。

「あれだな」

 師重兵衛がなにかを決心したようにぽつりと言った。

 剣師山田重兵衛による剣技伝授は続いていた。

 最近では、二人が木刀で打ち合うということは少なくなり、もっぱら口伝が増えていた。

 一刀斎流は、対手(あいて)が打ち込んでくるのを、払って払って払い捨てるところに本意がある。払捨刀(ふっしゃとう)だ。没我無心となり身を捨てることが根本となるが、奥義を極めた者には、秘剣というものを持つ者がいる。誰がどのような技を持っているのかは不明だ。払捨刀が『静』であるかぎり、『動』すなわち攻撃が必要となるのだ。あの稲妻のように対手には残影だけしか見ることのできない鋭い剣技を会得する必要がある、これを秘剣とする者は多い。

 重兵衛が重大な決心をした。己の秘剣を明尊に伝授するときがきたようだ。

 翌日、重兵衛と明尊は二人の小者を連れて城を出た。ひとりは寝具を担ぎ、もうひとりは米や味噌、塩などの食糧を持っている。

 一行は、城を出て掘割を渡った。そのまま尾根を登って一本杉と呼ばれる大杉のところに出た。この道をさらに直進すると浅利寺(せんりじ)の山門に至る。文徳天皇のころ、海女の娘から都へ召され、宮仕えした浅利姫の菩提寺として知られる寺である。

 一行は、道を逸れて雑木をかき分けながら絶壁を回り込むように下った。

 昼でも薄暗い竹林のなかに小屋があった。

 もう何年も前のことになるが、明尊が剣技研鑚の場所として建てたものである。

 絶壁を背にした間口一間半、奥行き一間ほどの板葺小屋である。前に立つと裏の絶壁が聳え立ち、小屋はいかにも小さく見えた。

 絶壁は、下部が深くえぐれ、上にいくほどひさしの様にせり出していた、波が削った痕跡である。太古の時代には海岸であったことを現していた。小屋は岩に食い込むように入り込んでいる、これなら、たとえ、上から落石があっても小屋にあたることもない。

 前方には孟宗竹の林がひろがって、その中を谷川が流れている。毎年、籠城用の筍をとっているので孟宗竹の間隔はほどよく空き、剣術の修業にもってこいだ。

 小者のひとりが板戸を開けようとしたが、湿気で膨張した戸は重く、容易に動かなかった。

 ふたりの小者が、声をかけ力をあわせて一気に開けた。

 にぶいみとともに戸が開いた。

「なんだ」

 室内をみた四人が唖然として言葉を失った。

 小屋の全面が白くなっているのだ。

 それが、一寸ほどにも延びたカビだと気がつくまでに、かなりの時間を要した。

「カビかー。」

皆が笑い出した。

 かびは、板の間と土間の区別なく室内全体に生えていた。暗い屋内にカビくさい空気が重くよどんでいる。

 手際よく小屋の掃除をした小者が荷物を置いて城に帰った。

 あとは、重兵衛と明尊の二人だけである。

 いつの間にか降りだした雨が竹笹を叩いている。しずまりかえっている山中で雨音だけが小屋を覆っていた。

 いろりに火を熾した。小屋の中に残しておいた雑木は、虫に食われボロボロになっていたが、乾燥していて良く燃えた。  

「さあ、やりましょうか」

 二人は孟宗の竹林に立った。

 重兵衛が師の顔になった。体内のあらゆる力が膨張していった。躰から放出する気が後光のように重兵衛を包んでいった。

「見ていてくだされ」

 重兵衛が、ついと動き出した。

 すさまじい気と風が竹林を通り抜けた。重兵衛は、林立する孟宗竹の間を全速で走った。ほぼ半町(約五十メートル)もあろうかと思われる竹林を、あっというまに通り抜けた。太い竹が障壁となって、真っ直ぐ奔ることなど不可能な竹林を、一直線に奔ったようにしか映らなかった。明尊には、ただ閃光のようにしか見えなかった。

 重兵衛の奔り抜けた痕には、胴体を貫かれた太い孟宗竹が列をなしていた。

 重兵衛は、真っ直ぐには奔っていなかった。稲妻のように、瞬時に方角を変えながら孟宗竹の胴を貫いていた。

 

 重兵衛は、城へ帰って行った。

 翌日、払暁から明尊の修業が始まった。

 濃い霧が流れている。かすかに風の音がだけが耳朶をくすぐる静寂と冷気のなか、低く気迫のある気合が竹林を震わせた。

 明尊は、竹林を走りまわっていた。谷川の水で喉の渇きを癒すとき以外は、ただひたすら走っている。

 毎日、太い孟宗竹にぶつかり転倒して傷だらけになりながら、一瞬でも早く走り抜けることができるよう一心不乱に走った。 

 夜、いろり端で瞑目する明尊の脳裏を稲妻が奔っていた。どうしても師のようにはいかないのである。

「眼で視認して障害を避けるのではありません、研ぎ澄ました五感全体で障害を感知して避けるのです」

 別れ際に残した師の言葉をなんども反芻(はんすう)した。

 

 秘剣を体得した明尊が城に帰ってきたのは半月後であった。

 重兵衛が『秘剣・稲妻』と名づけた。