福冨七郎左衛門尉疾風録

石見国浅利村・四ッ地蔵城主福冨氏5代録

お夕

 天文十二年(一五四三)初夏、明尊と忠左衛門は四ッ地蔵城を出た。

 今日も晴天が続き、雨の心配は無さそうだと思っていたが、太陽が中天を過ぎた頃になって突然の雷雨となった。あいにく人里離れた山中だった。

 黝(あおぐろ)い雲が地を圧し、雷電が頻りに襲ってくる。

「これはかなわん、避難しようぞ」

 明尊が走り出しながら前方をみると、山道を覆い隠すように広がる竹林のなかに一軒屋があった。

「それ!」

 掛け声とともに入口に駆けこみ、ホッと大きく呼吸した。

「誰か居るか」

 山下忠左衛門が軋む音をたて、重たい板戸を引き開けて暗い土間に入った。

「誰もいないようですが、子供がひとりで寝ています」

 忠左衛門に誘なわれて明尊も敷居をくぐった。暗い土間にポタッポタッと音をたてて雨漏りが始まっている。

 土間に面した囲炉裏の端に三歳ぐらいの女児が寝ている。遊んでいる最中に、とつぜん寝てしまったという形をしている。その手に、木を削って作った小さな人形をしっかりと握っている。木の枝で細工しただけの素朴な人形だ。

 囲炉裏の火は灰で覆いかくされ、鍋は冷えきっている。

 土間の窓際にある流しには、女児が昼に使ったらしい小さなお椀とはしが置いてある。

 高窓から差し込む一条の光りの中で、空気中に浮遊する無数の塵が光っている。すべてが静寂のなかにあって、意外なほど多くの屑が飛んでいた。

「どうしたの、どこか悪いの」

忠左衛門が女児の額に手をあてて、

「熱はないなー」

 目が覚めて、きょとんとしている女児に話しかけている。

「おかあちゃんは?」

「下へ行ってるの」

 下の村へいってるらしい。

「おとうちゃんは?」

「いない」

「そう、ひとりで留守番してるの」

「そう」

「おかあちゃんは、いつ帰ってくるの?」

「夜になったら」

「夜まで、ひとり?」

 女児はこっくりとうなずいた。

「それで、どうして寝てたの、おなかが痛いの?」

かあちゃんが早く帰ってくるから」

 女児のひとことが明尊の胸を押し潰した。

「そうだね、寝ていたら早く夜になるな」

 忠左衛門が大粒のなみだをだしている。

 忠左衛門がふところから紙に包んだ菓子をとりだして女児に食べさせた。

 女児は目をまんまるくして食べている。

「こんな甘い物は、はじめて口にするのでしょう」

 忠左衛門が泣き笑いしている。

 近ごろ、長崎で出まわり始めた南蛮あめの金平糖だ。博多の内田屋が八神屋へ贈ってくれたものだった。女児が驚愕するのも無理はない。

 結局、二人は夕方まで出立できなかった。明尊が可哀相だといって動こうとしなかったからだ。明尊は、囲炉裏の横に置いてある薪の中から、椿の枝を切り取った。そして、無心に小柄(こづか)を使って、なにやら彫刻を始めた.明尊に寄り添うように座っていた女児が目を輝かせた。

「ほれ」

と、女児の手に握らせたのは一刀彫りの人形だった。

「ほー、うまく出来てますな」

 忠左衛門は、夕が大切そうに抱える人形を見つめていた。

「これで、二人になっただろ、人形さんの友達ができた」

 女児がこくんとうなづいた。       

「そうだ、お人形さんの夜具も必要だ」

明尊が、襦袢の片袖を切り取って、女児に渡した。

「そりゃーいくらなんでも・・・」

 忠左衛門が苦笑いしながら移す視線の先で、女児が二つの人形を大切そうに布で包んでいた。

 夕方暗くなって帰ってきた母親に、忠左衛門が事情を説明してから家をでた。とにかく、下の村まで後戻りして昼餉をとるために立ち寄った郷士中村宇左衛門の家に泊まることとした。

 さきほどの、にわか雨で川になった山道を、二人は下りて行った。

 引き返してきた明尊らをみて驚いている宇左衛門に事情を説明すると、

「あー、そういうことで…・・」

 安堵の声を発し、なんと物好きなといわんばかりの顔をあわてて取り繕うように、

「あの家の亭主は、吉田攻めに足軽として出征したまま帰って来なかったのでございます。あの戦では、多くの者が亡くなりました……あっ、これは失礼しました、お殿さまの御先代さまも、お亡くなりに……それから、あの女児…夕ともうしますが…・女児の母親は、…さちともうしますが、村の野良仕事を手伝って、ほそぼそと生きてるので御座います」

「父親の名は、なんと申しますか……」

「茂吉と申します」

「なんと、茂吉か…・・」

「ごぞんじで」

 宇左衛門が「へー」という顔をしながら上目づかいで忠左衛門を見つめた。

「殿、茂吉は大殿の轡を取った男です。大殿の轡取りであった助八が病に倒れましたので、急遽、茂吉にさせたのです。それが、なかなかの者でして、あの日(天文十年正月十三日)敵味方数万がダンゴになって激突したとき、己は血だるまになりながらも決して大殿の側を離れなかった、あっぱれ者でした。最後は、御最期をげた大殿の前で仁王立ちになって敵の矢を一身に受け止めてくれました。イガグリのごとく矢が突き刺さっても逃げなかった」

「そうだったのか」

「ここで、茂吉の身内に逢うとは…・」

「さちは、うちでもときどき使っていますが……そりゃーもう…よく働きます。まだ三十にも程遠い若さですから、身惜しみをしない女です」

「吉田攻めでは、大敗を蒙った。……あの山のなかの一軒屋では、…・狼や山犬もいるだろうに。」

「だから、一日中、外にでないらしいんですよ」

「……・」

「あの夫婦は、あそこで炭焼きを生業としていたんです…・・亭主が亡くなってから、一人では無理ですから」

「…・・連れて帰るわけには行きませんか」

 明尊の唐突な申し出に、エッと絶句したままことばがでない宇左衛門に、

「いままで、あのような者がいることさえ気がつかなかった。…・迂闊だった…・わが父のために命をささげてくれたのに…・・非道のもとに一刻も苦しめておくべきでない。…宇左衛門どの、それがしの気まぐれを許してもらえないでしょうか」

「反対する理由はございません、私としても気にかかっていたことでございます。それにしても、そのような働きをしていたのでございますか、茂吉は…」

「それでは、さっそくにも行って、話してみよう」

明尊が立ち上がった。

「おまちください。突然行ったのでは…・うちの者を走らせますので、すこし刻をおいてからお出発ください」

 宇左衛門があわてて、若者を走らせた。

 

「おじちゃん」

 忠左衛門の顔をみて夕が走りよってきた。

「おー、おー、かあちゃんが帰ってきて元気がでたな」

 夕の頭を優しくなでながら、土間に平伏している母親を促して座敷へあがった。

 明尊と忠左衛門は、仏壇として設えた台上の位牌に両手を合わしている。

「話のあらましは、聞いたとおもうが、亭主には、きのどくなことをした。儂のところへ来ないか、なにも心配をすることはない、…・・娘御と一緒に暮らせるようにしたい」

「……」

 明尊に寄りそうように夕が座っている。明尊は兄ちゃんでしかない。

 土間に平伏したままの母親のさちは、嗚咽して声がでない。

「存じているとおもうが、殿のお父上も吉田攻めで討死なさった。そのとき、そなたの亭主茂吉は、殿の馬の口取りをしていたのだ。最後の最後まで大殿のもとを離れず、りっぱに死んでくれた。剛の者だ。天国でも大殿は、茂吉の口取りで馬に乗っておられるであろう。今、そなたに逢えたということは、大殿のおぼしめしだ。だから、心配するでない、…・それに、こんな可愛い子を、こんな山奥にひとりで留守番させるには、危険が多すぎる。…・・娘御には、遊びあいても必要だ」

「宇左衛門どの、恐縮だが、この者の用意ができたら、それがしのもとまで送ってくれないでしょうか」

「よろしうございます。亭主も草葉の陰で安心しているでしょう」

 宇左衛門が感きわまったという口吻で、さかんにうなずいた。 

「亭主の位牌も忘れるでないぞ、一緒に連れてくるのだぞ」

 忠左衛門がやさしくいいながら、懐から銭をとりだして夕にわたした。

「もう、明日からかあちゃんは、いつも夕と一緒だよ」

 事情の理解できない夕は、きょとんとしながらも忠左衛門からもらった銭を母親の手に渡した。

 

 数日後、さちと夕は明尊のくちききで、八神屋(やかみや)與次郎兵衛に引き取られた。

 八神屋は今、正寛が三代與次郎兵衛を襲名している。

 正寛は祖父忠智の又従兄弟になる。

「二人は特別待遇をうけているようでございます。他の奉公人とは別に門長屋の一室を貰いうけて二人で住んでいます。『大殿の盾となって討死した』という殿の一言がきいたようでございます」

 二人を送り届けた忠左衛門が、破顔で報告している。

「小間使いをやっているようですが、それが、なかなかの働き者で、機転が利くらしく、與次郎兵衛さまや奥方に気に入られているようです。夕は、孫のようにみんなから可愛がられています」

 明尊は二人を自分の屋敷で働かせるつもりでいた。しかし、その考えは直(すぐ)に変わった。

 亭主を死なせたさちを、武家に住ませることに躊躇したのだ。商家のほうが二人にとって安穏に暮らせると思ったからだ。

― さちが武家を望むなら、夕が大きくなってから武士の亭主でも探してやればいい。

「ところで、與次郎兵衛さまは、『さちと同じような境遇の者は、他にもいるでしょうに』と言っておられました。その件につきましても、殿はなにか善処を考えるお気持ちのようですと言いますと」

 いたずらっぽく笑いながら忠左衛門は、

「與次郎兵衛さまは、『同じような境遇の者が十人おるとして、残された家族のうち、そのうち男は四人、女は六人じゃろうか、…一日あたり、男に米五合、女に米二合が飢えずにすむ最低量であろうから、一年では一千八百合、女七百二十合…・一俵四百合として、男に約五俵、女に二俵、十人では三十二俵を扶持しなければならんでしょうな、一石は二俵半ゆえ、〆て十三石分となる。…十人でこれですからなー』とおっしゃられました」

 たちどころに計算したという與次郎兵衛に、明尊は口をあんぐりとしているだけだった。

「でも、あの二人はほっておけなかった」

 忠左衛門が明尊に同意をもとめた。

 「それにしても、お夕の顔がずいぶん明るくなりました。與次郎兵衛さまはお夕の遊び相手も付けて下さっています」

「よかった」

明尊がつぶやいた。