福冨七郎左衛門尉疾風録

石見国浅利村・四ッ地蔵城主福冨氏5代録

温湯城(ぬくゆじょう)

 目前の城山には秋の色あいがでていた。白壁の塀が幾重にも重なって横に広がり、所狭しと甍をかさねる建物が、頂上部へと続いている、いつ見ても美しい城だ。

「あそこが本丸です、その右下にあるのが二の丸で、城の大手門にあたる南大門は…ほら、あの木の陰に、わずかばかりの屋根が見える建物です」

 忠智が、要塞と化した山全体に広がる建物を説明していった。

「三代・長胤さま築城の名城にございます。築城以来、百有余年隆盛を誇っている要害です」

「なんと、壮大な、お城。母さまは、あそこで大きくなられたのですね」

 鶴姫が、感嘆の声をあげた。

 深い切れ込みの谷間を塞ぐように、聳立する城山を感慨をこめて眺めた。

 南大門に着いた。

 温湯城大門まで出迎えに出ていた家士の案内で、鶴姫と忠智は本丸大広間に、佐々部らは三の丸に通された。

「お鶴、こちらへおいで」

 上段の間で、御屋形の横に座っていた御屋形の母・お登瀬の方が、廊下まで出て鶴姫の手をとり、御屋形(長正)との間に座らせた。

「鶴にございます」

 やや緊張の面持ちで、丁寧に両手をついて挨拶する鶴姫を見まもりながら、うんうんとうなずいている御屋形の眼に涙が溢れてきた。

「お鶴、よう来た。おばばも喜んでいる。これからのことは、なにも心配するでないぞ」

 声がかすれ、大粒の涙が流れ落ちた。

 慈愛に満ちた御屋形の言葉を、鶴姫が神妙な態度で聞いている。

「七郎左衛門、ご苦労であった。……綾は、だめだった」

「申し訳ございません、『長重さまを一人にすることはできぬ』と……・今、すこし時間がございましたなら…・・なにぶんにも、三好さまの軍勢が早かったものですから…・・」

 忠智が、床に額を摩り付けて泣いた。

「さすがは、わが妹だ。最後まで夫を見放さなかったか。……それにしても、この母に最後の孝行をしてくれたの、お鶴を届けおった」

 御屋形の声がかすれた。お登瀬の方は、鶴姫をしっかりと抱きしめている。

「お鶴、そなたに逢いたいという客があるでの待たせているよ」

―御屋形は、ふしぎなことを言われる。

 怪訝そうな顔をしている鶴姫と忠智を無視するように御屋形が合図をした。

 家士に案内されてきた三人の侍が、廊下に平伏した。

「な、なんと蘆田どの、前山どの、盾川どの、ご無事でしたか」

 忠智が廊下に走り出て、三人の手をとった。

「姫さま、福冨さまもご無事で、うれしゅうございます」

 年長の蘆田三郎裄綱が、嬉し涙で顔をくしゃくしゃにしながら経過を報告した。

「それがしら三人で、三十人ほどの敵を迎え討ちました。といっても、敵を姫から離すため反対方向へ誘いだすことを目的として突入したのでございます。うまく敵がそれがしらを追ってきました。もはや姫さまも脱出できたであろうことを確信したところで、それがしらも、いちもくさんに逃げましてござります。なにしろ敵は甲冑を着けておりますので、面と向かっての戦いは不利でしたので」

「それこそ、いい判断だ。なにも、無駄死にすることはない。三人とも、死に躊躇することなどいささかもない剛直な武士であること、それがしが見とどけている」

 城を脱出した夜、敵に発見されて絶体絶命に陥ったとき、蘆田ら三人がおのれの身を盾として迎撃してくれた。そのお蔭で逃げのびることができた。忠智は三人に感謝するとともに、申し訳ないという呵責に耐えられない思いでいた。三人が生きていてくれたということが、心底うれしかった。

「蘆田、前山、盾川、生きていてくれてうれしい」

 ひとりひとりの名を呼んで礼をいう鶴姫も、感激のあまり言葉が続かない。

「それにしても、よう、逃げることができたの」

「それはもう、敵は重い甲冑を着けておりますが、それがしらは軽装、闘うには不利ですが、逃げるのは楽、もう、思いのままに引っ張りまわして、最後には、はいさらばでございました」

「なるほど、まったくもってそうだ。それにしても長重どのも良い家臣を持たれたものだ」

 御屋形が眼を細めてうなずいた。

「敵を、撒いたところで城から火の上がるのを見ました…主の消息を確かめるため城下に潜入し、長重さまとお方さま二人だけが、わが身を犠牲にして家中の者の命を救ってくださったということを聞きましてございます。そこまで確認いたしましたので、姫に追いつこうと急ぎましてございます。その結果、どこかで追い越してしまったものか先に着いてしまいました」

「そなたらは、今治から船出したのであろうの、姫とそれがしは、多度津から舟に乗ったので遅くなったと思う」

「ああ、そうでございましたか、多度津経由とは思いもつきませなんだ」

「あの…、やえは、いかがしましたでございましょうか」

「はっ」と鶴姫が絶句した。

「前山とやえは、兄弟…」

「はい、それがしの姉でございます」

「申し訳ござらぬ、六人の野武士に襲われ、やえを護ることができなかった…・」

 忠智は伊予の山中でのことを詳しく説明した。やえの遺髪を取り出し両手をついて頭を深く垂れた。

「やえは、わたしの盾となってくれました」

「そうでございましたか…・・」

 姫が、悄然と肩を落とす前山源三の手をとって幾度も侘びた。

「それは、気のどくなことをした。…・ところで、これからどうするつもりか」

しばし瞑目のあと、御屋形が三人に問うた。

「長重どのに最後まで随いたということは、阿波へ帰っても、そなたらは所領を失っているであろうの」

「でありましょうが、姫が、ご無事で到着なされたうえは、われらの役目も終わりましてござります。明日にも、阿波へ立ち帰りたいと存じます」

「心配するでない、儂に仕える気はないか」

「それは、身にあまる光栄に存じます」

「三人とも、阿波と同じだけの所領は与えよう。七郎左衛門、そなたの配下とするがいい。」

「なんと、ありがたき幸せにございます」

「三人とも、七郎左衛門を助けてやってくれ、そなたらは、阿波に身内も残っていることであろうから、一度、阿波に帰って皆を連れてくるもよし、このまま石見に残るもよし」

 御屋形の差し伸べた慈愛に一同が感泣した。

 三人とも、ひとまず阿波へ帰り、家族郎党を連れてくることとなった。前山源三は、姉・やえの墓参りに行く許しを得た。

「帰ってくるまでには、所領も決めておくでの、安心して帰ってくるがよい」

「身にあまる光栄にございます」

「長重どのと綾も、よろこんでくれるであろうよ」

「ありがたき、ご配慮恐悦にございます」

 三人が、感泣にむせびながら退室した。

 

「七郎左衛門、今宵は泊まってくれ、綾のことなどを聞きたい」

「承知いたしました」

 忠智も、それ以上は何も言えなかった。

 その夜、御屋形とお登瀬の方の夕餉に忠智も同席した。鶴姫への挨拶のため、親戚衆と重臣らが顔をそろえ、にぎやかな晩餐となった。

 お登瀬の方の横に、鶴姫が座っている。

「孫とは、かわいいものよの」

 鶴姫に、なにかと世話をするお登瀬の方は幸せそうである。

「母上、あまりしつこくすると、お鶴に嫌われますぞ」

 そう言う御屋形も満面の笑みを浮かべている。

 突然、忠智の視界がおのれの涙で閉ざされた。声を漏らさないよう必死に歯をくいしばって下を向いていた。鶴姫を無事に御屋形のもとに連れ帰ることができた安堵感と、鶴姫を優しく迎えてくれた御屋形と御方への感謝が、忠智の平常心を失わせていた。

「お、鬼の七郎左衛門が泣いているぞ」

 親戚衆の長老が立ち上がって忠智の前に胡坐をかいた。

「七郎左衛門、自分の城が危ういときに、よくも、自分を犠牲にして、御屋形さまのために働いてくれた。ここに居る皆が感謝しているぞ、よくやってくれた。親父どのの四十九日法要も済んでいない貴殿に殺生をさせてしもうた、儂らはいくら謝っても謝りきれるものではない」

長老は涙にくしゃくしゃになりながら忠智の肩に手を当てた。

「それにしても、鶴姫さまは綾さまにそっくりだ。まるで、生き写しだ」

「綾は心根の優しい娘だった。この度も、夫に殉じると決めたとき、この母の気持ちを思って、お鶴を届けおった。お鶴を大切に思うぞ」

 お登瀬の方は、涙ながらに鶴姫を抱き寄せている。

「七郎左衛門、お鶴のことは心配するでないぞ、儂の大切な身内だ」

 御屋形の声が、長老の後ろから聞こえてきた。

阿波の小笠原長重と綾姫の顔が瞼に浮かび、忠智は不覚にも畳に両手をついて嗚咽した。

 

 翌日朝、忠智は、浅利へ向かった。

 御屋形とお登瀬の方が鶴姫とともに、見送ってくれている。昨夜は、お方が鶴姫を放さず、枕を並べて寝たということであった。

 しきりに恐縮する忠智に、「いや、良い」といいながら大門まで出た。

「恐縮にござります、これにて失礼させていただきます」

 平身低頭して、三人と別れた。

 大門を出て、三十間ほどのまっすぐな道を、走るように下ったところで、立ち止まって振りかえった。

 三人は、立ったままである。忠智は、丁寧に礼をした。

 道が、曲がって三人の視界から消えようとするとき、

「父上、おいしい魚と貝を食べに行きますよ」

 鶴姫の大きな声が、忠智の背後から圧(の)し掛かってきた。

 御屋形の面前である。どっと冷や汗が背筋を濡らした。

「そのことは言わないでくだされ」

 うろたえて手で制する忠智に鶴姫が大きく手を振っている。

姫のいたずらであった。

 姫から事情を聞いたのであろう、御屋形の哄笑がとどろいた。

「お待ちしております」

 忠智は、大きく腰を折って頭を下げると、早々に立ち退いた。

―やれやれ、姫のいたずらには参った。

 背に噴出した冷や汗が背筋を伝い落ちていく。阿波からの帰りに姫をわが娘として旅したこと、重役連中が知ったならどんな顔をするだろうか。

「姫を、なんと心得る、罰当たりめ」

 苦りきった重役連中の顔を、思い浮かべて苦笑した。

 夜明けの空に、輝きを失った月が大門の真上で白く浮かんでいた。

 さあ、わが城・四ッ地蔵城だ。

 しのが、さぞ心配しているだろう。

 御屋形は、忠智の舅・浜崎四郎兵衛を援軍にだして沈静をはかっているといわれた。いったい、どうなっているのか不安は消えない。

 足は速まり、走るように浅利へいそいだ。