福冨七郎左衛門尉疾風録

石見国浅利村・四ッ地蔵城主福冨氏5代録

出羽本城(いずはほんじょう)

 昼過ぎには、川根の湊に着いた。ここから温湯城へは、一日行程でしかないが、忠智は、ひとまず小笠原家の姻戚・高橋大九郎の城に入ることとした。江川の支流・川草川を辿れば、城まで二里ほどでしかない。大九郎久光の妻は、小笠原長弘の姉である。

 また、この高橋家は第十代毛利家当主興元の妻の実家でもある。後年、中国11か国の大守となる元就にとっては兄嫁の里となる。

 その領地は石見国の出羽と安芸国高田郡の北半分を領し、さらに山懸郡の東部にまで領有しているほどの勢力をもっていた。

 

 出羽本城が見えてきた。

「あの山上にある城が、高橋大九郎さまの出羽本城です。大九郎さまのお方さまは、鶴姫さまの母上・綾姫さまの伯母さまになります。先代御屋形(長弘)さまの姉さまです」

「堅固そうですね。それにずいぶんと山のなか」

「阿波の小笠原一族も峻険な山を利とした城を造っているではありませんか、四国では、阿波の『山岳武士』と恐れられています。石見の山などなにほどもありましょう」

「鶴姫さま、これで二人の旅は終わります、道中のご無礼、お許しください、『お鶴』と呼び捨てにしたこと、『父上』と呼んでいただいたこと、親のような言葉使いをしたこと全てに、お許しをいただきとうございます」

「もう、終りなのですか…・楽しい旅ができました。この思い出は、終生、大切にしていきたいと思っています」

「ありがとうございます、今日は、ひとまず出羽本城に入りまして、泊めてもらいましょう」

「でも、このまま、ずっと父上でいてほしい…・」

 鶴姫にとって両親との離別は、あまりにも突然であった。鶴姫持ち前の明るさで、離別の苦しみを覆い隠していたが決して忘れたのではなかった。必死に耐えている鶴姫をみる忠智の心も苦しくなった。

「いいよ、ただし、二人だけのときにかぎるよ」

 父の言葉遣いにもどった忠智の手を鶴姫が握ってきた。

「うん、うん。それでいい」

 大仰にうなずいた。目がくりくりとし、輝きがもどった。

 望楼を持つ大門に二人が近づいた。

「小笠原さま家臣、福冨七郎左衛門でございます。綾姫さま御息女・鶴姫さまをお連れしておりますゆえ、高橋さまに取次ぎ願いたい」

 居館から、あわてふためいて飛び出してきた大九郎夫婦が、ふたりの服装をみて一瞬とまどった。

「阿波の小笠原長重さまに嫁がれておられます綾姫さまの御息女・鶴姫さまにございます。仔細あって、それがしが阿波まで、お迎えに行きました」

 忠智が、膝を地につけてあいさつした。

「それは、ご苦労さまでした。さ、さ、遠慮のう、お入りください」

 高橋大九郎のお方が、鶴姫を導いている。

「綾は、いかがしたのでしょうか」

 鶴姫の服装から、何かを感じたお方の目には、すでに涙が充満していた。

 苦渋に満ちた忠智の顔からは、声がでなかった。

「仔細を聞くのは、後にせよ」

 大九郎がたしなめた。

 

 翌日、出羽本城を行列が出発した。

 輿を中心に、大九郎の重臣・佐々部多左衛門と忠智が騎乗で先導し、輿のすぐ後ろを女中二人がついている。後方は、武装した二十人の将兵が警護についた。

 鶴姫は、お方心づくしの衣装をつけ、つつましやかな立ち振る舞いにも凛とした気品が戻っている。すべて、大九郎が手配してくれた、きめ細かな気配りであった。

 昨夜は、お方がつききりで姫の世話をしてくれたらしい。男である忠智には気のつかない細やかな情を受け、鶴姫も、見違えるような柔らかさが戻っていた。優雅で美しかった。あらためて、やえを喪った重大さに心を痛める忠智であった。

―これで、鶴姫様を堂々と御屋形さまに、お渡しできる。

 忠智は、大九郎に感謝した。

出羽の盆地を抜けると、一気に山が高くなり谷も深くなった。山道はさらに狭く険阻になった。温湯城の後背を固める自然の要塞である。この道は、温湯城にとって山陽と城とを結ぶ重要な道となっており、「小笠原道」と呼ばれていた。

 行列は、一歩一歩ゆっくりと足元を確かめるように進んでいった。

 行列が止まった

「姫さま、温湯城でございます」

 下馬した忠智が、輿の横に片ひざをついた。

 戸が開けられ、重い着物をもてあますように、ゆっくりと鶴姫が出てきた。

 女中の揃えた草履を履いて立ちあがった。