福冨七郎左衛門尉疾風録

石見国浅利村・四ッ地蔵城主福冨氏5代録

主従の絆

 雲が高くなった。秋茜がせわしなく飛びまわっている。秋の気配は蒼空に現れているが地上は夏のままだった。

 本丸館の前庭で幼子の甲高い声が響いている。

 五歳になる嫡男相安が周辺の子供たちを集めて遊んでいるらしい。

―そろそろ勉学を教えなければならないな。

 父治堅の初七日法要も無事に終り気分的にも落ち付いてきた。

 忠智も六歳から勉学を始め、八歳から剣術を習った。そして十三歳で初陣を果した。

 相安も忠智と同じ方法をとるつもりでいる。

 初秋というのに、いつまでも暑い。中天で輪をかく鳶がうらやましい、あそこなら涼しいだろうと思うのみである。

 そのとき、ただならない大声を聞いた。重臣佐々木善右衛門の声だ。大門の方角からだ。

息せききって、真っ青な顔をした善右衛門が走り込んできた。

 三の丸から本丸への坂道を駆け上ってきたのだ。

「一大事にございます。都治兼行どのが兵を起こしたらしゅうございます」

「攻めてくる」

 忠智の平静な声音に善右衛門が驚いた。

「どうして、それが分かりますか」

「大門前の道は街道とはいえ余所者の往来は少ない、それが、ここ数日、急に増えていた。何者かがこの城を狙っていると感じていた。それが都治だったということだ」

「なるほど、城の強弱を覗っていたということですか」

「そのようだ。それにしても今の都治には兵を出すだけの力はないだろう」

「都治殿は四ッ地蔵城を攻略すると息巻いているとのことでございます」

「父死去の虚を衝くつもりだろう、攻めて来るなら今日、明日のうちに来る。三日もあれば、この四ツ地蔵城にも御屋形さまの援軍が到着する。だからそれまでに決着をつけようとするだろう。警鐘を鳴らせ」

 忠智が怒鳴った。

 すさまじい警鐘が連打され、忠智の命を受けた物見(斥候)が散らばって行った。

「先代(治堅)さまの御他界を待っていたようにございます」

「儂も侮られたものよの、父の死を待って攻めて来るとは」

「都治の今井城には、ぞくぞくと兵が入城しています」

 そのとき物見に出ていた山根作左衛門があわただしく登城してきた。

「田多神次郎ら殿の家臣数名が今井城に入城しました」

「なんと…・」

 忠智が絶句した。

「田多が寝返ったというのか」

「紫部新左衛門も今井城へ…・」

「入ったのか」

「この眼で、しかと確認しております」 

 作左衛門が上目づかいに忠智をみた。

 家臣の田多神次郎と紫部新左衛門が都治氏に寝返ったのが確実となった。

 戦国の乱世だ、好条件の方に傾くのが武士の常とはいえ、いまどき、寝返ることなど忠智には理解できない。城が堕ちる瀬戸際に逃げていくというのであれば分る、今の四ッ地蔵城は一片のゆるぎもないではないか、忠智の胸に憤怒が渦巻いた。

 いつもは勇ましく聞こえる出陣の連打がもの悲しくわびしい。

―儂は愚鈍ではない、勇猛さの点では父の治堅に劣るとは思わない。いったい、何が足りないというのか。

田多も紫部も父治堅の下では功臣であった。その者が去るということは儂に不徳の致すところがあってのことであろう。

「都治は応仁元年(一四六六)京で起きた大乱に出兵すべく船で東上途上、難破したため、宗行率いる軍勢全員が海の藻屑と消えました。都治の跡目を継いだ兼行は急遽、軍勢を集めなければなりませんでした。あれから二十七年を経ていますが百名を越す軍勢を編成することは容易ではありません。田多、紫部らのように戦場で鬼神の働きをする武士が欲しかったのでしょう」

 父治堅が健在のとき、すでにこの問題は出ていた。だが、父は武力の行使を見合わせた。裏切ったという確証が得られなかったからだ。裏切りは萌芽のうちに摘んでしまうべきであった。悔いが湧きあがってくる。

 忠智は、やりきれない思いを振り切るように三の丸へ下りて行った。

 絶望にかられ蹌踉たる足どりだった。

 次ぎ次ぎと地侍らが集まっていた。

「永井が来ません」

父治堅が浅利村に入部したとき、福冨の支配下になることを拒み、治堅に成敗された永井助左衛門の息である。治堅は助左衛門を成敗したが、嫡男の助三郎に家督を継がせていたのである。助左衛門の怨念は消えないということか。

「紫部、雀部も来ません」

 悲壮な報告が入ってくる。

「いったい、何人が敵に回ったのだ、情けない、武士の面目まるつぶれだ」

 人の心を読めなかったこと事態、軽率のそしりを免れない。

 夜になって都治兼行の下へ奔ったのは永井助三郎、紫部新左衛門、雀部重郎左衛門、田多新次郎など六人であることが判明した。

いずれも都治領と境を接する地侍だ。騎馬武者一騎には騎乗の家士一名、足軽二名、小者二名が従うので三十六名の兵を失ったことになる。福冨党軍勢の三割にもなる。もはや軍隊としては壊滅的な打撃だ。いまさらながらに自分の迂闊さに臍を噛む思いを強くした。

 騒然とする城内に白けた憂鬱な気分が蔓延している。戦を前にして一人ひとりの表情に燃え立つような熱気が感じられない。あちこちでたむろし、ぼそぼそと小声で会話をしている兵の表情が暗い。これから、おのれの領内で戦をしょうとしているのだ。意気のあがらないのもあたりまえだ。 

 忠智だけが鬱屈した心のはけ口から戦闘意欲をかきたてている。

 いかに難攻不落の堅城といえども、これを守る者の心がひとつにまとまっていなければ、たちまち崩壊する。今は残った味方の心をやすらかにすることが先決だ。

「松村権兵衛さま御着陣」

 はずみのある声で伝令が本丸へ駆け込んできた。

「なんと松村どのか」

 信じられないといった顔で忠智が三の丸からの上り口を見た。

 権兵衛が坂道を足早に上って来るところであった。権兵衛は都治家においては阿波守の武位を得て、重臣の一人として数えられていた。都治家断絶後は権兵衛として治堅に客将待遇で迎えられていた。都治家再興の折には、一番に馳せ参じるべきであるところを、都治家に帰らず、福冨の客将の地位に甘んじていた。治堅が仁をもって遇したことにたいして義をもって応じたことが明白であった。

「松村どの、それがしにとっては何よりも心強い味方でございます」

 忠智は権兵衛の両手をとって押し頂くように礼を言った。

「先代さまの御高恩は終生忘れるものではございません」

 権兵衛が毅然と言った。たとえ、戦う相手が都治氏であっても容赦はしないという気迫が顔にでていた。

 敵ははたしていつ頃攻めて来るのか、

 三日あれば御屋形(小笠原長正)の軍勢が到着する。敵はそれまでに決着をつけたいであろうから、おそらく今日、明日中に来るだろう。

 だが都治勢は城を出なかった。

「よし、都治が動かないのならこちらから攻めてやる。永井らを血祭りにあげる」

「お待ち下さい、永井らだけなら討ち果たすこともできましょうが、都治どのは、れっきとした足利幕府の御家人でございます、今、下手に動いて幕府のお叱りを受けるのは御屋形さまにございます。御屋形さまに累が及んでは申し開きもできません」

「御屋形さまには腹を掻き切ってお詫び申し上げる」

「なんということを言うのですか、そなたは、おのれの面子のために命を捨てようとしている、御屋形さまのために捨てるべき命ではないのですか」

母ぬいが敢然と忠智の前に立ちはだかった。

「母上、よく分っています。それでも、今、立たなければ武士としての意地をすてることになる」

「そこまで言われますか」

 善右衛門の顔に気迫がでた。戦を決断した顔であった。

 そのとき、四ッ地蔵城の城門に騎馬の士が飛び込んで来た。

 御屋形(小笠原長正)からの出頭命令だ。

「『都治を攻めること、まかりならん、直ちに出頭せよ』との仰せにございます」

 使者が口頭で付け加えた。

 

 翌日暁闇、忠智は温湯城へ向かった。

 善右衛門が温湯城への供を申し出たが、四ッ地蔵城にとっても存亡の危機から脱したとは思えない。城を山下理右衛門と佐々木善右衛門に託して、ひとりで大門をでた。随従者無用との御屋形の命によるものだった。

 

「七郎左衛門、はやまるでないぞ」

 御屋形の口から意外な言葉が出た。死を覚悟して緊張していた忠智の体から張り詰めていた気が音をたてて崩れていった。

「は、…・・」

「七郎左衛門のことだ、腹を斬るつもりであろう。死んではならん、都治を攻めることも許さん、都治のことは放っておけ」

「都治との喧嘩なら儂が立つ。だが、やつ(都治)は、儂に旧臣だった六人を返してくれと懇願してきた。代わりの所領は差し出すとまで言っている。都治の暴挙を止めたのは都野どのだということも分かった」

都治宗行の実家である川上(かわのぼり)氏の支流都野氏が動いたということだった。

「……・」

「万が一、そなたが都治を攻めたとしてみろ、東から都治、西から都野氏に福屋氏、南から川上と三方から攻められるぞ、しかも、いずれもが四ッ地蔵城に隣接する敵だ。一日にして五千名の兵を繰り出すだろう。川上の倅宗行が都治の養子に入ったときから、四ッ地蔵城は完全に孤立してしまったのだ。そなたの父七郎左衛門は隣国の包囲網による圧迫をみごとに撥ね返していた。だから、七郎左衛門が身罷った虚を突かなければならなかったのだ。今は我慢しろ、そなたの力を見せつけるのは今ではない。儂も佐波と諍いが絶えない今、福屋氏や都野氏までも敵に回したくない。都治は都野氏と福屋氏が抑えている」

「……」

「わかったか、有為の家臣を死に追いやるほど馬鹿ではないぞ儂は」

「あまりにもおそれ多きお言葉にございます」

 主君の心のぬくもりを感じたとき、忠智の頬を涙がこぼれ落ちていった。

「うむ、それでは、七郎左衛門に頼みがある」

「なんなりと」

 あまりにも唐突な話しの展開に、真意が判らぬまま答えていた。

「阿波へ行ってくれ。それも、ひとりで」

「ひとりで…・」

 主持ちの武士が、従者を連れずに独り旅をすることなどありえない。

「そうだ、ひとりだ」

「この前、阿波の舅(三好之長)どのと逢ったとき、小笠原長重が叛意を持っているらしい、という話がでた」

 小笠原長重は、阿波国池田に領をもつ三好小笠原家の一族である。

 南北朝時代、阿波守護細川氏の被官であった小笠原義長が阿波三好に住し、姓を三好と名乗ったと伝えている。

 伊予との国境ちかく、馬路川沿いの山手に長重の城があった。峰畑山(七四八)に連なる尾根のひとつだった。雨上がりには、周辺の峰や谷から無数の霧が立ち、城をすっぽりと覆い隠して雲となる。人々は雲霧城と呼んでいた。

 延徳二年(一四九〇)七月五日、足利義稙が将軍に就任したとき、管領細川政元は、これに反対し、義稙の従兄弟義澄を擁立しようとした。

 当然のなりゆきとして、義稙は畠山政長管領として政元を疎外した。

 明応二年(一四九三)二月十五日、政元は、クーデターを実行して義澄を迎えた。足利義稙は捕らえられ、畠山政長は自殺した。明応の政変である。これにより将軍の権力を細川氏が奪い取った。このとき、三好之長は細川氏に付き従って武功を重ねた。

 阿波の小笠原長重は、将軍を倒すという細川氏のクーデターに批判的であった。それゆえに、動きが鈍かった。三好之長は、それを叛意とみたのである。

 以後、細川氏とともに京に上がった三好之長は、細川澄元の有力内衆として近侍し、中央政権で頭角を現した。それから数代を経た三好長慶のときには細川氏から権力を奪い取るまでになった三好である。

「三好どのは、長重どのを誅伐する気らしい」

 御屋形(小笠原長正)の母は、三好之長の娘である。之長にとっては孫娘の婿を誅殺しようとしているのだ。

「そなたの祖母も、河野氏の出であったな」

「はい」

 父・治堅の母は阿波国河野九郎の娘である。

「阿波へ行ってくれ、そして小笠原長重に嫁いでいる儂の妹(綾姫)を連れ戻してくれ。父(てて)御(ご)七郎左衛門を失ったばかりのときに申し訳ないが、これは、そちにしかできない。他人の言うことなど聞くことのない綾も、そちの言うことなら聞いてくれるだろう・・・父御の四十九日までには帰ってこい」

「分かりましてござります」

「行く気になったか…・、よいか、このことは三好殿に見つかってはならん。七郎左衛門ひとりで行け、そして急いでくれ」

「御意。直ちに出立いたします」

「都治のことは放っておけよ、都治には儂が話しをする。逃げたやつらは戻って来ないであろうが、これ以上勝手な動きはさせん。福屋どのも都治の説得に行ったはずだ」

 都治氏は福屋氏と同盟を結び、福屋氏の中核となっていた。福屋氏が制止にまわったということであれば都治も動けない。

「ご迷惑をおかけして、もうしわけございません」

忠智が平伏した。

「七郎左衛門、出発はできるだけ早いほうがいい。浅利へは、儂から連絡してやるでの、ただちに出よ」

「承知しました」

「浅利へは、そなたの舅殿四郎兵衛を応援に出すでの、城のことは心配いらぬ」

「ありがたいことにございます」

 御屋形が四郎兵衛と呼んだのは、浜崎四郎兵衛尉のことである。忠智の妻しのの実父である。

「それにしても、小笠原家は甲斐の小笠原、阿波の三好と小笠原、それに十河、石見の小笠原と分散して勢を張っている、もし、これがひとつになったなら、全国制覇も夢ではなかろうに、身内で争っている、情けないことよの」

 御屋形が大きく嘆息した。

 甲斐の国を発祥の地とする小笠原氏は、源頼朝御家人として阿波国池田を領していたが、細川氏が阿波国全域を支配することとなったため、小笠原阿波宗家である三好氏および他の小笠原一族もその麾下となった。ところが、長親だけは細川氏の麾下となることをよしとせず、石見国へ移ったのであった。 長親を開祖とする石見小笠原氏は、すでに十代長正に継がれている。

 その間、阿波の三好氏及び小笠原氏と石見小笠原氏とは、本家、分家として親密な交際を続けてきた。

 御屋形小笠原長弘の妻は三好之長の娘である。小笠原長正の母でもある。さきの応仁の乱では御屋形は心ならずも三好之長に敵対した。綾姫の婚儀は両家交誼修復の意味あいもあったのだ。家臣の間でも四国の諸氏と婚姻をはじめとする交流があり、福冨家中興の開祖七郎左衛門治堅の母も伊予河野氏の一族河野七郎の娘である。忠智が四国へ渡ったところで、なんの不審も抱かれないであろう。

 翌日、暁闇をついて忠智が出発した。

 御屋形が手配してくれた長重への手土産と手紙だけを持っていた。