福冨七郎左衛門尉疾風録

石見国浅利村・四ッ地蔵城主福冨氏5代録

綾姫

「七郎、対手(あいて)をして」

 稽古用の薙刀を持った綾姫が二人の侍女を従えて野天道場に入ってきた。白鉢巻をきりりと締め、白襷で戦仕度を整えた姿も勇ましい。侍女も同じ姿だ。

 若者らが稽古を止めて道場の隅に座った。道場内が静まり返った。

「勇ましい姿ですの」

「女子だてらに武芸なんて必要ないと思っているのでしょ」

「とんでもございません、それがしの母は今でも修練を重ねています。もう二十年も前のことらしいのですが、薙刀で父を倒したと口癖のように自慢しております」

「なんと、槍の七郎左を倒したというの」

 綾姫が、それみたかと言わんばかりの顔をして二人の侍女を振りかえった。

武家の女子は武芸を怠ってはいけません」

 薙刀を八双に構える綾姫の鼻息も荒い。

「さあ始めましょうか」

 忠智は、綾姫たちの打ち込みの相手をして悪いところを指摘し、よきところは大いに誉めた。とはいっても、力を抜くことなく打ち込む忠智に、綾姫は疲労こんぱいして動けなくなった。

「姫さまに対して強うございます、もうすこし、手加減して」

 侍女が綾姫の額に噴き出た汗を拭いながら懇願した。

「手加減するような稽古はありません。最初は、短い時間でいいのです、体力ができれば持続力がつきます」

 忠智に、容赦なく叩きのめされる綾姫の気をつかってか、道場の端に座っていた若者が一人二人と退出している。姫の相手をするときは、適当にあしらい、たまにひとつや二つ打たれてやって機嫌をとるのが当たりまえとなっているのに忠智は容赦しなかった。姫が、いくら打ちこんできても余裕をもって躱していく、さらに相手の隙をついて打ち込む。

 ついに綾姫が無言で道場を出て行った。大粒の涙が紅潮した頬を流れていた。

 静まりかえった道場で忠智ひとりが素振りを始めた。

 

 翌日、綾姫が道場へ現れた。昨日のことは、なにひとつ記憶にないといった態度であった。

「さあ、始めましょうか」

 淡々として忠智が相手をする。

 綾姫の容赦ない打ち込みを、ことごとく忠智が躱していった。

 綾姫と忠智との稽古は毎日続いていた。ひと月もすると忠智の打ち込みを受け止める綾姫の力と持続力が、わずかながらも付いてきた。

「七郎、だいぶ強くなったでしょ」

綾姫が荒く乱れた呼吸を掻き分けながら自慢した。

「はい。ずいぶんと強くなってきております」

「あら、鬼の七郎がほめてくれた」

 ころころと笑った綾姫が、背後に控えている女子の一人を呼んだ。

「七郎、しのと戦って見なさい」

 綾姫が、立ち会えと言ったのは、綾姫へ薙刀を伝授している、しのという女子だった。

 浜崎四郎兵衛の娘で、歳は忠智より三歳下だった。肌の色は白く、たぐいまれなる美貌を持ちながら本人には気づいていないようなところもあった。しとやかで、茶目っ気たっぷり、邪気のないやさしさが、綾姫をはじめ周辺の人々の心を引きつけていた。薙刀の名手といわれた、しのの母を凌駕するほどの技量を認められて、綾姫の下へ随けられた。

 戸惑っているのは忠智だけだった。しのは、すでに言い含められていたらしく、袴を穿いて襷がけをしていた。真っ白い鉢巻をきりりと締めた顔には、戦うという気迫が漲っていた。

 否応なしに、戦いを強要された忠智は、すでに断る機を失っていた。

 しのが薙刀を八双に構え、忠智が青眼に構えて戦いが始まった。

「キエー」

 すさまじい女の気合が奔った。

 無言の忠智はピクリとも動じない。

 しののの繰り出す薙刀がうなりをあげて忠智の足を払った。

 跳躍して薙刀を避けた忠智が着地したのと同時に、頭上で回転させた薙刀が勢いを付けて突いてきた。

 後方に跳び下がった忠智を薙刀の石突が襲ってきた。すかさず左手で掴んだ薙刀を背負って、しのを投げ飛ばそうとした。しのは、あっさりと薙刀を手放して小太刀で忠智の背に体ごと突きかかってきた。寸毫の差で躱した小太刀を小脇に抱えて忠智が一回転した。しのの生あたたかい息が忠智のうなじを撫でた。もんどりうって仰向けに倒れたしのの喉元を忠智の小太刀が抑えた。忠智の小太刀はしのの首に膚接してピタリと止まっていた。

 忠智の眼の前で、驚愕したしのの目が大きく開いていた。鼻腔に飛び込んできた香ばしい体臭に戸惑い、忠智はあわてて飛び退った。

「ふー」

 大きなため息をついたのは綾姫だった。

「いい立合いだった。しの、七郎を相手にそこまで戦うとは、貴女(そなた)は強い。わたしにも、今、遣(つか)った薙刀捌(さば)きを教えて」

 起き上がって叩頭するしのの顔に負けたという無念さは無かった。はじめから忠智には適わないということを覚悟していた姿であった。

「七郎、そなたの真剣な顔を初めて見た」

「はい。勉強になりました。しのどのは、それがしに薙刀や長刀との戦い方を教えてくれました」

「恐れ多いことでございます。やはり福冨さまは強うございます」

 消え入るような声で礼を言うしのの両手は、乱れてもいない着衣の胸元を合わせもっていた。面(おもて)は伏せたままであった。

 

数年後、忠智としのは結婚することになるのだが、このとき、ふたりは、はじめて芽生えた新たな感情に、戸惑っているだけであった。

 

後日、このときのことを、しのは、「気がついたら、七郎さまに組み敷かれていたものですから、恥ずかしくて死にたいほどでした。あのような、無様(ぶざま)な姿勢をとらせた七郎さまをうらみに思いました」と、忠智に言ったものだ。

 

 二人の仲は急速に縮まっていた。

 

 さらにもうひとつ、忠智がしのと結婚してからの話を付け加えると、

ある夜、閨(ねや)のなかで、仰臥したしのが忠智の下で「クスッ」と笑った。

「何や」

 機先を削がれ口をとがらす忠智を、押しのけてしのが言った。

「二人の結婚が決まったとき、城内ではあなたさまのことを『七郎は寝技でしのを娶った』と言われていたのですよ」

「なんのことだ」

「あなたさまと、しのがはじめて試合をしたとき、あなたさまは、しのを投げ飛ばして組みしいてしまいました」

「あれは、儂とて必死に戦った結果、ああなったのだ。邪念などなかったぞ。儂とて十七歳をすぎたばかりで、相手のことを思う余裕などなかった」

「そうだ、もうひとつ聞きたいことがある」

「なんでしょう、突然、恐い顔をして」

「あのとき、そなたは儂の背後から突いてきた。凄まじかったぞ。稽古ではああいう手は遣わないものだ。そなたの手にしていた小太刀は稽古用に刃引きしたものであったが、突きをまともに受ければ儂の躰を貫ぬく。そなたは儂を殺すつもりであったのか」

「はい。もし、躱しきれずに、あなたさまが亡くなられたら、それも仕方のないこと。そのときは私も命を絶てばすむこと。でも、私がどんなに必死にぶつかってもあなたさまは余裕をもって躱す技量を、お持ちだと確信していました」

「弱ければ死ねばよいか、恐ろしいやつだ、そなたは」

「そうです、恐い女ですよ。女子(おなご)をあのような無様(ぶざま)な姿にしたのですから、きっちりと責任を取っていただきますから」

 下から伸ばしたしのの白い双腕(もろうで)が、忠智の首を抱え込んだ。

 濃艶な息が忠智の耳朶を撫でた。