福冨七郎左衛門尉疾風録

石見国浅利村・四ッ地蔵城主福冨氏5代録

竹合戦

 文明三年(一四七一)治堅四十一歳の春を迎えようとしていた。

 村のあちこちに残っていた雪も消え、萼に包まれた新芽もわずかばかり脹らみを増し力強さを加えてきた。

 さわさわと静かに流れる春風のなかで、農繁期を迎えた農民たちが野良仕事に没頭している。

 突然、四ツ地蔵城の警鐘が村中に響いてきた。

 独特の律動で連打される警鐘は鐘の叩き方で、敵が攻めて来たのか出陣するのかを知らせている。そして領内の要所に設置されている他の警鐘を呼び起こし、次から次へと連係され、あたかも水面に石を投げ入れたように輪となって領内全域に異変を知らせている。

 城から二十騎ほどの早馬が、残雪を蹴散らして方々に散ばって行った。

 福冨党と呼ばれる家臣団への伝令なのだ。

 それまで静寂に包まれていた山村が急にさわがしくなった。

 村人の顔から血の気が引いていく。

 野良仕事中の男達が家に駆け戻っている。とにかく、一時も早く城に駆けつけて、何が起きたのかを確認しなければならない。

「敵が攻めて来たのか」

 攻めて来たとすれば都治氏だ。

 昨年、都治氏を攻めて失敗した。都治氏としても福冨を攻める名分はある。

「いや違う、あの打ち方は出陣だ」

 女子房たちが不安そうに話している。

「出陣―」

 伝令の声が走り去っていった。

 

「忠智、支度をせい」

 治堅が甲冑を着けながら大声で忠智を呼んだ。

「はい」

―初陣だ。

 忠智は躍りあがった。ついに初陣となったのだ。今年の正月、十二歳になった忠智は元服を済ませていた。

―初陣はちかいぞ。

 ほのかな期待をもって武芸の訓練に励んできた。

―いよいよ初陣だ。

 忠智は勇躍した。

 すでに忠智の甲冑も揃えられていた。半年前に仕立てたものである。甲冑の重さで自滅してはならない、出来あがった新品の甲冑を幾度も着て剣術の稽古をしてきた。室神山にも登っている。もう、すっかり忠智の身体に馴染んだ甲冑である。

 忠智には家士の山下理右衛門と轡取りの嘉平が隋いている。理右衛門は理左衛門の嫡男である。高齢となった理左衛門に代わって出陣することになった。忠智の衣服を剥ぎ取るように荒っぽく脱がした、あわてているのだ。

 戎衣の上に甲冑を着けた。躰がビシッとかたまり、気も引き締まってきた。

 ぬいが出陣の儀式につかう酒器を持って座敷に入って来た。

 色白の顔が心なしか青味がかっている。わが息子が初陣を迎えた喜びと、戦場におくりだす恐れとが輻輳した複雑な気持ちが顔にでている。

「佐波勢が銅が丸鉱山を狙って侵入したらしい、いつものことだ、大した戦にはなるまい」

 治堅が、ぬいを慰めるように言いながら床几に腰をかけた。

 忠智も治堅の横に座った。

「おめでとうございます」

 家士が声を揃えた。

「うむ」

 治堅が盃をとり一気に酒を飲んだ。

 忠智に盃がきた。

 形式に則っとって酒を喉に通した。冷たい酒は緊張した喉を心地よく通り過ぎた。

 家士も一斉に盃を取った。

「行くぞ」

 治堅が急ぎ足に座を立った。あわてて忠智や家士が付き従った。

 城内から赤柄の月型十文字槍を小脇にかかえた騎馬武者を先頭に、数十人の軍団が走り出てきた。治堅の率いる福冨党である。

 治堅は「赤柄の七郎左衛門」と呼ばれ小笠原家でも屈指の剛勇者となっていた。

 城主出陣の法螺貝が殷殷と鳴っている。

「おお、若殿、初陣おめでとうござります」

 甲冑に身を固め、郎党二人を連れた佐々木善右衛門、善兵衛父子が、大門前で治堅と忠智を迎えた。

 

 城門をでた治堅らは、下河戸村から江川北岸の市村へ出た。

「殿、松井権兵衛どのが来られます」

 馬の背で腰を浮かせて後方を振り返っていた理左衛門が弾んだ声をあげた。兵を止めて待ち受ける治堅の前に、郎党を率いた松井権兵衛が小走りに追いついてきた。

「やあ、遅れ申した」

 さっぱりとした笑顔で挨拶した。

「ごくろうに存じます」

 丁重に礼を言って治堅は権兵衛と馬を並べた。

「お、ご子息の初陣ですな、おめでとうござります」

 忠智を見つけた権兵衛が眼を細めた。

 

 ぞくぞくと配下の将士が合流して来る。

「初陣ですな、おめでとうござります」

 口々に祝辞を述べてくれる。

「ありがとう」

「ありがとうございます」

 いちいち馬上から忠智が礼を言った。

 初陣は、忠智が福冨家の後継者として成長したということを披露する場でもあった。

 

 一行は長良村から対岸の後山村へ江川を渡り、南岸を東上して川戸村から田津村に出た。田津村からは小笠原領内である。小笠原家臣団が次々と合流してくる。

 

 皆が一様に緊張した顔で挨拶もそこそこに川本をめざしている。

 軍勢で混雑した狭い街道を忠智らも黙々と進んで行った。軍勢は渡利村、鹿賀村、因原村を経て川本村へと東上して行った。

 

 

 戦場は川本村からわずか一里しか離れてない銅が丸鉱山の近くだ。

 佐波軍が鉱山を狙っての侵入だ。

 江川の左岸に敵軍が展開している。これと対峙する小笠原軍も狭い河原を埋め尽くした。

 大河の川面と比べて戦場となる河原はあまりにも狭い。両軍は縦長になって対峙した。

 戦いの殺気を察知した治堅の悍馬が、しゃきっと頭をもたげ、静かに前方を見つめている。

 ピーッと音をたてて一本の矢が蒼空を飛んだ。佐波勢から放たれた攻撃開始のかぶら矢だ。

 小笠原勢から放ったかぶら矢が音を引いて飛び去った。

「ウオー」

「ウオー」

 両軍の雄叫びが周辺の山にこだました。佐波勢から無数の矢が飛んできた。小笠原勢も負けじと弓矢を放つ。両軍の矢が空で交差し敵陣を襲う。異様などよめきが山に反響して渦巻いた。

 きっと頭を上げ、前方の敵軍を見据えていた愛馬の耳がわずかに動いた。後方に起こりつつある異変を察知したようだ、音を拾おうとしている。

 忠智が振り向いたとき、敵の伏兵数十騎が一町ほども離れてない谷あいから姿を現したところだった。

「敵だ」

 忠智が馬首を返して鞭を入れた。驚愕したのは福冨党の面々である。初陣の忠智が単騎で敵を迎撃しようと疾駆している。

「なんということだ」

 初陣で討死することはめずらしいことではない、よくあることだ。戦という特異な状況に巻き込まれたとき我をわすれ見境もなく戦ってしまおうとするからだ。忠智が今、その轍を踏もうとしている。

「若殿を討たすな」

 あわてて忠智を追った。必死に馬を走らせているが、すでに忠智は敵の軍勢に包み込まれていた。

「しまった」

 治堅はじめ福冨党は唇を噛んで馬腹を蹴った。己が戦陣に立つのは恐ろしくないが、息子を失うのが怖い。祈るような気持ちで前方の忠智を見つめていた。

 槍の穂先を忠智の喉もとに合わせて突きかかる甲冑武者を、忠智はすばやく右半身に体を回転しつつ躱(かわ)して、二番目に疾駆してくる伏兵の大将らしき武者に敢然と向かっていった。単騎で突入してくる忠智の始末を先頭の武者に任せて、己は前方の小笠原本隊を襲うこととしていた伏兵の侍大将が、予期せぬ事態に動転して横なぐりに払った長槍を忠智の槍で撥ね上げた。態勢を崩されてのけぞった体を、忠智のすさまじい剣尖が脇の下から首に貫いた。

まさに電光石火の突きであった。武者は断末の絶叫を発して落馬した。

 態勢を立て直す間も無く右から払い斬りにくる敵を槍の鐺先であしらい、左から突いてくる敵を低い左半身の構えで躱し、対手の隙をついて猛然と攻撃に転じた。

 このとき福冨党がなだれうって突入してきた。

 敵の伏兵は多数の犠牲者を遺(のこ)して四散した。 

「若、とどめをしてあげなされ」

 倒した対手に無用の苦しみを与えないため、すみやかにとどめを刺すことが武士の情けである。

 理左衛門が馬を寄せてきた。

「心得た」

 忠智が軽やかに飛び下り、うつ伏せに倒れている敵の兜を持って頭をひきあげた。武者の顔は、すでに血の気を失い抗う力も失せていた。忠智にとって人間の首を掻き切るということは初めての経験である。失敗してはならない、皆が見ているのだ。理左衛門に教わったとおりにすればよい。腹に力を入れ、鎧通しを握り締めた。

「初陣か」

 カッと目を開いて忠智を見た武者が驚きの表情をした。

「儂のせがれもお主と同じ年頃だ。貴殿(そなた)がうらやましいの。儂は、基山(もとやま)新兵衛丞(しんべえのじょう)だ、よき首とせよ、討て」

 武者がゆっくりと目を閉じた。その顔には、わずかながらも笑みが残っていた。

「福冨七郎左衛門が一子、福冨七郎右衛門にござる、御首、頂戴仕る」

 一礼して、いっきに首根に太刀を押し込んだ。噴出した血飛沫がほとばしり、忠智の面頬を叩いた。むっとする生臭い臭いが拡散した。

「福冨七郎左衛門が一子~、福冨七郎右衛門なり~、御敵~、基山(もとやま)新兵衛丞(しんべえのじょう)を討ち取ったり~」

 馬上から首級を高々と掲げ名乗りをあげた。気持ちの良い一瞬であった。

 若々しい声が小笠原勢の頭上を疾りぬけた。

「おー」

 応じて小笠原勢から祝福の喚声が噴き挙がった。

 忠智は理左衛門により武芸の訓練を受け始めてから、わずか八年しかたっていない。

 だが、敵味方入り乱れての乱戦で忠智の落ち着き払った無駄のない動きは、距離が遠くなるほど見えていた。忠智の伸びやかな動きに小笠原勢は目を剥いた。

初陣で、百戦練磨の働きをした忠智に御屋形をはじめ家中の侍たちは瞠目から感嘆にかわっていた。

 

 この戦で忠智は己の持つ剣技を小笠原家中に知らしめることとなった。

「若は、それがしの技を迅速に覚え理解して己のものとする才をもっている。これは、教えられて得るものではなく天与の才です。末おそろしき技の達人になられるかも知れない」

 忠智が剣術を習いはじめて一年たった頃、理左衛門の言っていたのを治堅は思い出していた。

―良い跡取になってくれそうだ。

治堅の心が安らいでくる。

 

 この年、忠智が御屋形(九代長弘)の側近として温湯城へ奉公にあがった。山下理右衛門と嘉平が同行した。

「良い跡取をもったものよの、ただ、戦というものは、大将が先頭に立って突入するばかりが能ではないぞ、戦略、戦術、兵法などを駆使して指揮をとることが必要だ。儂に預けないか、儂も、七郎右衛門を仕込んでみたい」

御屋形の言によるものであった。

 

 四ッ地蔵城出立の前日、忠智は治堅に連れられて浅利海岸に出ていた。

「儂による最後の伝授だ」

 治堅は波打ち際に砂を盛り上げて、その上に三尺ほどの竹を立てた。

「よく見ていろよ」

 治堅は腕組みして立っているだけだ。波は規則正しく浜に打ち上げ引いていく。一回、二回と打ち寄せる波は、盛り上げた砂山の近くまで来ては引いていった。

三回目のときだった。大きな波が押し寄せ、あっという間に砂山を崩して取り去った。

「これだ、この竹が軍勢を率いる大将だ。そして盛り上げた砂は己の軍勢だ。波は敵だ。どんなに大軍勢を率いていても、兵どもは、味方が負けると判断したときには、あっという間に四散する。気がついたときには、大将である己一人が敵の真っ只中に取り残されている。そして敵の雑兵どもに寄ってたかって討ち取られるということだ。昔、南北朝争乱のとき、後醍醐天皇の第七皇子義良親王村上天皇)を擁して東北から西上してきた北畠顕家が、泉州で足利軍と戦ったとき、十数万を率いていながら一日にして敗れ、討ち取られてしまった。北畠顕家にしてもこの竹と同じだ。大将たるもの、押すも引くも常に兵を掌握しておかなければならない。退くな退くなと大声で兵を叱咤して、己はその場に止まっていたため、気がついたときには敵の重囲に陥っていたということになる。剣技に秀でており、剣聖と呼ばれる武将が戦場で命を落とすことなどめずらしいことではない。いずれも、このように単騎となって討ち取られるのだ。こうなれば、日本無双の剣士と名もない武将との差もたいしたことではない、己が死ぬまでに、名もない武将が二、三人の敵を斃すところを日本無双の剣士は五、六人を斃すことができるだけのことでしかない、死ねば終わりだ。要は、戦功者といわれる武将は、『兵をいかに掌握して戦う意欲を持続さすか』ということに気を使い、戦の情勢を常に見極めて、敵の重囲に陥らないことだ」

 

 その夜、四ッ地蔵城では重役らによる送別の宴が行われた。

 

 小笠原家では、嫡男長正(十代長弘)への宗家継承が進んでいた。にもかかわらず、忠智は御屋形(九代長弘))の側近となった。

「どうしてでしょうか」

 ぬいは忠智とあまり歳の違わない若殿(長正)の側近になるものと思っていた。

「若殿には幼少のころからの側近衆が随いている。それに、宿老衆が随いて戦の作法を

お教えする必要がある。忠智は御屋形直々の伝授が行われているとのことだ」

 

 いつもは飄然としている忠智であったが御屋形に気にいられているようであった。