福冨七郎左衛門尉疾風録

石見国浅利村・四ッ地蔵城主福冨氏5代録

結婚

「恐れながらお願いの儀がございまする。…・じつは…」

「ぬいのことか。」

「え、ご存知でございましたか」

 驚いたのは治堅の方だった。

「ばかめ」

 久しぶりに聞く五郎左衛門の言葉だ。治堅が配下であったころには、口癖のように小言として使われていたが、同役となってからは聞くことがなかった。ただ、以前と違うのは、言葉とはうらはらに優しさに溢れた声音であることだ。

「玄関先で抱き合ったりして、見つからぬとでも思っていたのか」

「はあ」

 治堅がたじろぎながら顔を赤くして、ぬいを振り返った。

ぬいは澄ました顔をしている。

「結婚は親が決めるものなのだ。それを己らで勝手に決めおって、世の通義では許されるものではない。ただし、そなたなら儂とて不満はない。槍の七郎左衛門も女子には弱いと見える。…・気をつけろよ、この娘は、しっかりしているぞ。こいつにかかったら、儂も形なしだ」

 五郎左衛門が、いかにも楽しそうに笑った。

 二人の結婚が承諾されたのだ。

「ありがとうございます」

 背中に冷や汗が滲むのを感じながら治堅は顔を伏せていた。

 

 退室して玄関まできたとき、治堅がほっとため息をついた。

「ぬいどのは、強い。儂は、冷汗でびっしょりだ」

 突然、ぬいが抱きついて来た。

 ぬいのやわらかな体が小刻みに揺れていた、泣いているらしかった。

 とても愛しく、ぎゅっと抱きしめた。二人の頬が重なりあった。

 ここちよい冷たさが治堅の頬に絡みついた。心臓を貫く全身の血が一気に沸騰しようとしている。初めて経験する感情であった。

「エヘン」

 奥の部屋から、しわがれた咳ばらいが飛び込んで来た。

 反射的に治堅から離れたぬいが涙に濡れた顔のまま微笑んだ。

 治堅が、おどけたようすをつくり、抜き足、差し足で門まで出た。

 そこで、わざと足音を立てた。

 ぬいが声を押しころして笑っている。

―うつくしい。

 治堅は無上のよろこびを感じていた。ぬいのぬくもりと残り香に治堅の身心が火照った。

 すっきりとした夕空に星が一つキラキラと輝いていた。治堅の気が飛び跳ね、その場で跳躍して駆け出した。どこまでも走り続けたい気分だった。   

 

 

 峠の道を松明の行列が続いている。蟻のようにつらなる行列は細く長く雑木林に見えかくれしながら、ひどくゆっくりと近づいている。

 花嫁行列だ。

 今朝、川本村から江川を舟で下り、太田集落から峠を越えて来たのだ。市村から下河戸村を経由して来るのが近道なのだが、それでは西行きとなる。婚礼は、東に向って進まなければならない。そのため、わざわざ太田道を選んだのだ。

 やがて行列の先頭が濠に架かる橋を渡って大門への道に入って来た。濠に乱舞するほたるの群れが行列にいろどりを添えている。

 道の両側には、一間(いっけん)ごとに並べられた篝火が煌煌と焚かれ、辺りを昼のように浮かび上がらせている。

 行列を護衛先導してきた寺島五郎左衛門配下の将士が、甲冑姿も勇ましく大門前に整列した。合戦とは違って寛いだ空気のなかにも厳かな雰囲気がただよっている。

 整列する護衛隊のなかを、華やかな花嫁御料が上がって来た。

 護衛隊により打ち鳴らされる武具が、ガチャガチャと雑音を発し、花嫁との別れを惜しむ気持ちを代弁している。将士は、無言で武具をならす。これらは儀式であった。

 護衛隊は、今宵一夜、四ッ地蔵城の将兵に代わって城の警護を受け持つこととなっていた。ただし、城内に入ることをせず、城外に留まって警護をする。

 三の丸広場では礼服に身を包んだ福冨党の面々が威儀を正して迎えている。すべてが無言のうちに進められていく。

 大門を通過したところで、輿は福冨党の陸尺と交代して三の丸館の縁側に横付けした。

 輿から出た花嫁が高い縁側に仮設された階段を上がって控の座敷へ上がっていった。

 

 三の丸大広間での儀式が厳かに行われた。

 

「ほんに、眺めがいい…・」

 ぬいが本丸の庭から無限に連なる中国山地を眺めて感嘆している。

 昨夜、式に続いて開かれた宴会は今朝方まで続いていた。

 夜露で冷やされた風が、ひんやりとして寝不足の躰(からだ)に気持ちいい。

 今日も晴天だ。目前に聳立する室神山が霞に包まれていた。

 五郎左衛門配下の焚いた篝火が、ものういな煙を残して消えている。徹夜で城を警護してくれたのだ。

 霧の帯が、中国山地を縫うように蛇行している。江川の上空だけに発生する現象だった。それは、あたかも、山の間を遡上する龍の姿であった。その神々しいまでの美しさにしばし見とれた。

 治堅の左手が、優しくぬいの肩を抱いた。

 

「まず、四ッ地蔵尊にお参りしなくてはならない」

「ええ」

「じゃが、御一体は、昨夜、わが家にお出ましいただいている」

「……」

 治堅が声をあげて笑った。

「この地域では、婚礼や新築のときに村のお地蔵さんを運んできて、その家の土間に据える風習がある。『地固まる』ことを願ってのことだ。それには誰にも見つからずに運んできて、お返しするときも見つかってはご利益がないとされている。昨夜は誰かが持ってきてくれたのだろう」

 そういえば玄関を入ったところの土間に、お地蔵さんが一体据えられていた。輿のなかから、ちらっと見ただけなのだが…今朝には無くなっていた。

「それなら、ご挨拶もうしあげるのでした」

「いや、これからお参りに行くから、そのときでいい」

 

 治堅が、城の東端に建つ御堂に案内した。二間四方ほどの小さな室内は板敷きで、奥の一段高い場所に四体の四ッ地蔵尊がならんでいる。

城地を探しているときに姿を現した四体の地蔵尊を、治堅は、偶然だとは思っていない。

「お出ましいただいた」のである。

 二人は地蔵尊に敬虔な祈りをささげた。