福冨七郎左衛門尉疾風録

石見国浅利村・四ッ地蔵城主福冨氏5代録

平安城

永正四年(一五〇七)、足利義澄を奉じて将軍足利義稙を放逐した管領細川政元は、実権を握って大いにその権勢をしめしたが、自分の後継ぎに関白九条政基の子澄之、阿波讃岐細川義春の子澄元、そして細川支流細川政春の子高国の三人を立てた。三人が力を合わ…

参考文献

石見家系録 大島幾太郎 島根県大田市立図書館 陰徳太平記……・・ 和歌山県立図書館、大阪府立中央図書館 吉川家古文書……・ 和歌山市立図書館 石見吉川家古文書… 大阪府立中央図書館 大丸山伝記……・・ 川本町立図書館 孫子………………・ 浅野裕一 講談社学術文庫 吉…

君谷合戦

永正三年(一五〇六)十一月二十三日(新暦十二月七日)病気療養中の小笠原長正(十代)が温湯城において死去した。直ちに嫡男長定が家督を継いだ。 翌年、喪も明けぬなか佐波勢が小笠原領君谷湊に侵入してきた。 小笠原長正は、南北朝以来繰り返してきた佐…

九州出征

明応五年(一四九六)一月、周防、長門、豊前、筑前の守護大内政弘が死去した虚を突くように、九州肥前の少弐政資が大内氏の支配する筑前に侵入して大宰府を占拠した。大内氏は、その子義興が後を嗣いだばかりであった。 同年十二月、父政弘の一周忌を済ませ…

四つ地蔵城

四つ地蔵城では忠智の留守中、重臣・佐々木善右衛門は、紫部新左衛門に逢って、都治方へ寝返った本意を聞きだしてくれていた。 善右衛門は、平時においては、穏やかな好好爺であるが、戦場においては鬼神の働きをする。 幾多の戦場において、先頭をきって突…

温湯城(ぬくゆじょう)

目前の城山には秋の色あいがでていた。白壁の塀が幾重にも重なって横に広がり、所狭しと甍をかさねる建物が、頂上部へと続いている、いつ見ても美しい城だ。 「あそこが本丸です、その右下にあるのが二の丸で、城の大手門にあたる南大門は…ほら、あの木の陰…

出羽本城(いずはほんじょう)

昼過ぎには、川根の湊に着いた。ここから温湯城へは、一日行程でしかないが、忠智は、ひとまず小笠原家の姻戚・高橋大九郎の城に入ることとした。江川の支流・川草川を辿れば、城まで二里ほどでしかない。大九郎久光の妻は、小笠原長弘の姉である。 また、こ…

甲山宿

峠を下り、谷間を抜けると広い盆地にでた、甲山宿だ。鎌倉時代以来の高野山領大田荘である。盆地の中を東西に流れる芦田川を隔てた対岸の山に、大田荘経営の中心寺院として真言宗龍華寺が建立されていた。山には、龍華寺を中心として観音堂、御影堂等が設け…

尾道宿

その日は、尾道宿に泊まることとした。 陽も陰り、往来する旅人も、それぞれが宿を物色している。 軒を連ねる宿屋の女が、声を張り上げ客引きしていた。競争で客を引き込んでいる、まるで喧嘩だ。 「ご浪人さま、どうぞお泊まりになってください」 女が忠智…

京都屋(みやこや)

昼すぎに、二人は川之江城下へ出た。 海岸近くの小高い山に城があった。南北朝期の建武四年(一三三七)に河野道政がその武将土肥義昌に命じて築いた仏殿城だ。永延元年(九八七)に諸国行脚の僧恵心が建立した「鷲尾山恵心院仏報寺」を取り入れて建てたもの…

阿波・雲霧城

伊予国との国境近く、馬路川右手の小高い山に、小笠原長重の城がある。 城山は川の両岸から急激にそそり立つ懸崖な山の頂にあった。背後には峰畑山(七四八メートル)が屏風のように連なっている。 城内は戦支度でごった返していた。 兵の顔は強張り、将士に…

四ッ地蔵城

その日午後、四ッ地蔵城城門に浜崎四郎兵衛尉率いる百名の軍勢が到着した。 御屋形に呼び出された城主忠智が帰らず、軍勢が押し寄せてきた。 四ッ地蔵城は大混乱に陥った。 城の門すべてが固く閉じられた。 「なにごとです父上、殿はご無事でしょうか」 大門…

主従の絆

雲が高くなった。秋茜がせわしなく飛びまわっている。秋の気配は蒼空に現れているが地上は夏のままだった。 本丸館の前庭で幼子の甲高い声が響いている。 五歳になる嫡男相安が周辺の子供たちを集めて遊んでいるらしい。 ―そろそろ勉学を教えなければならな…

二代・福冨七郎左衛門尉藤原忠智

疑惑 闇に姿が没する刻である。百姓姿の男が四ッ地蔵城に登ってきた。家臣山根作左衛門である。地侍の彼は百姓姿が身についている。 「緊急ごとか」 作左衛門の尋常でない顔つきに、忠智が押さえた声で問うた。 作左衛門が首を横に振った。口は堅く閉ざして…

輿入れ

文明十年(一四七八)御屋形(小笠原長弘)の息女綾姫と阿波小笠原長重の婚礼が決まった。長重は、阿波国池田に領をもつ三好小笠原家の一族である。 先の応仁の乱では、阿波の三好小笠原家と石見の小笠原家は本家分家の間にありながら敵対した。 此度の婚礼…

君谷合戦

文明八年(一四七六)三月、佐波秀連が君谷地区へ侵入してきた。 治堅は御屋形(小笠原長弘)の右手やや後方に控えている忠智を見つけた。 あの位置は大将の護衛上もっとも重要な場所である。 甲冑に身をかため馬上で悠然と構えている姿は、いかにも颯爽とし…

綾姫

「七郎、対手(あいて)をして」 稽古用の薙刀を持った綾姫が二人の侍女を従えて野天道場に入ってきた。白鉢巻をきりりと締め、白襷で戦仕度を整えた姿も勇ましい。侍女も同じ姿だ。 若者らが稽古を止めて道場の隅に座った。道場内が静まり返った。 「勇ましい…

室神屋(やかみや)

文明五年(一四七三)、十歳になった正秋(まさとき)が、武家を離れて海商室神屋與次郎兵衛吉久の養子となった。 室神屋は海商を営む地侍である。主として玉鋼を商いしている。江川(ごうがわ)の河口から三里ばかり遡上した扇状地に屋敷を持っていた。 玉鋼は…

竹合戦

文明三年(一四七一)治堅四十一歳の春を迎えようとしていた。 村のあちこちに残っていた雪も消え、萼に包まれた新芽もわずかばかり脹らみを増し力強さを加えてきた。 さわさわと静かに流れる春風のなかで、農繁期を迎えた農民たちが野良仕事に没頭している…

応仁の乱

室町幕府八代将軍足利義政は幕政を執るという気がなく、幕府の実権は細川、斯波、畠山の三管領と山名宗全の四人に握られ、そのなかでも細川と山名が最大の実力者となっていた。山名宗全は但馬、備後など数カ国を領有する有力な守護である。実子の豊久を細川…

桐山城

嘉吉二年(一四四二)八月、足利幕府の管領職を継いだ畠山持国は多年実子がなかったので、弟である畠山持富の次男政長を家督相続者に定めていた。 ところが、持国に実子義就(よしひろ)が生まれたので義就に家督を譲り、畠山氏譜代の重臣須屋氏を後見人とした…

ぬいの逆襲

寛正元年(一四六〇)も秋になった。どこからか芳しい花の匂いが漂ってくる。 本丸の塀際に立つ金木犀だ。 ぬいと結婚してすでに五年が経った。治堅もまもなく三十歳になろうとしている。 ぬいは自分の生活に満足しているようであった。小娘のように甘えった…

結婚

「恐れながらお願いの儀がございまする。…・じつは…」 「ぬいのことか。」 「え、ご存知でございましたか」 驚いたのは治堅の方だった。 「ばかめ」 久しぶりに聞く五郎左衛門の言葉だ。治堅が配下であったころには、口癖のように小言として使われていたが、…

四ッ地蔵城築城

治堅は浅利村へ出発の前日、寺島五郎左衛門へのあいさつに行った。 「うらやましいかぎりよ、儂(わし)など、いまだに小城のひとつも持っとらん。そちは、二十代で城持ちだ」 「父上」 突然、ぬいが言葉をさえぎった。 「福冨さまは、父上と同役になられたの…

君谷合戦

享徳二年(一四五二)正月、江川(ごうのがわ)の河原を覆い隠す朝霧のなか、小笠原、佐波(さわ)両軍が対峙していた。 薄明の河原に流れる霧が静かに両軍を覆って、沸き立つ殺意を包み込んでいる。 山の頂を浮かび上がらせている朝の陽射しは駆け足で谷底へ…

初代・福冨七郎左衛門尉藤原治堅

宝徳三年(一四五一)三月(新暦・四月中旬)、石見国は春爛漫の季節を迎えていた。 山野に若葉が満ち、田畑に咲き誇る菜の花が黄色く村を染めている。 道は左手の城山を迂回するように曲がって、谷の奥に続いている。 五町(五百メートル強)ほど奥の堤(つつ…