福冨七郎左衛門尉疾風録

石見国浅利村・四ッ地蔵城主福冨氏5代録

風雲温湯城(ふううんぬくゆじょう)

 石州出羽(いずは)合戦 

 

 永禄元年(一五五八)春、山椿が冬の終りを告げるかのように群生している。木々の若芽がふくらみ桜もつぼみが大きくなってきた。そろそろ本格的な春を迎えようとしている。

 このころ、福屋、周布(すふ)、吉見、三隅、益田は毛利の軍門に降り、小笠原長雄(ながかつ)が尼子方として毛利と対陣していた。

 二月の初め、小笠原家臣団に緊急の出陣命令がでた。芸州日山城(ほのやまじょう)の吉川元春が一千余騎の軍勢を率いて石見国へ侵入し出羽へ屯営しているという。まもなく温湯城に攻め寄せてくるらしいのだ。

「小笠原長雄は、その父長徳の代から長年にわたって吉川家に親昵を尽くされていたのに、いつしかその義を忘れ、尼子晴久に一味しているのでこれを退治するため」

 という名分を掲げ、芸州郡山城の父元就にさきだって出発したものだという。

 元就は、石見国征服にあたり、毛利家と姻戚になる小笠原長雄は、まっさきに講和に応じるものと確信していた。ところが益田、福屋とも毛利の軍門に下ってきたにもかかわらず、依然として刃向かってくる。ついに小笠原攻略を決めた。

 

「出羽元實が三百余騎で一番に駆けつけ、福屋隆兼も一千五百余騎を引き連れて合流した」

 温湯城へ物見の報告が次々とはいってくる。

 時を同じくして、雲州須佐高矢倉城の本城常光からの軍使が温湯城に来た。

「元就数万騎にて近日当国へ出兵し、まず、温湯城を攻め、その次は、わが城を攻めようとしているよし聞こえている。そのために、元春は、わずかの軍勢で上出羽に屯営している。今、貴方と私が一手になって合戦すればたやすく切り崩すことができるであろう。といえども互角の勢では、勝利危いこともあろうかと思われるので、『多勢をもってやすやすと追い崩そうと思う』と、早打ちをもって尼子修理太夫(晴久)殿へ注進したところ、牛尾遠江守、湯信濃守に五千余人を相添えて当地へ差し出すとの返事があった。小笠原殿もその節には上出羽へ御出兵されたい、両方より挟んで元春を討ち取ろう」

 軍使から渡された手紙を読んで、

「その約が成るのを待っていた」

 小笠原長雄は、おおいに喜んだ。

 二月十七日(新暦三月七日)、小笠原・本城隊と牛尾、湯隊は、合わせて八千余騎の勢を二隊に分けて、本城、小笠原隊が三千余騎で一番に、二陣は牛尾、卯山、湯隊の雲州勢五千余騎という陣立で、上出羽に向け進発した。

 吉川元春率いる芸州勢も福屋隊が一千五百で先陣を取り、二陣は、吉川元春が一千余騎、出羽元實は三百人ばかりで、一陣もしくは二陣の劣勢となった部隊を救うため遊撃隊となって控えた。

 福屋隆兼の子、彦太郎は寡勢なので木の柵を結ばせ、これを盾として待ち構えた。

― 福屋隊が先鋒か。

 この年、二十五歳になった福冨七郎左衛門尉明尊は、前方のススキ原に対峙する隊列を見ていた。

―少ない、こちらの半分ほどでしかない。

 明尊の四ッ地蔵城は、福屋領との国境にあって四代にわたり侵攻を阻止してきた自負がある。

―福屋の戦法を知り尽くしている。

「福屋は、それがしが討ち取る」

 明尊の血がたぎる。

 悍馬にまたがった明尊の両眼が炯々と光ってきた。

 小笠原、本城隊が喚声を挙げて突撃した。

 福冨党を率いた明尊が福屋彦太郎隊めがけて真っ先に突き進んだ。

 福屋彦太郎隊が木柵の内側から矢先を揃えて応戦する。木柵は意外に堅固だった。馬で飛び越えることができない。木柵を挟んでの突き合いとなっている。

「柵を倒せ」

 明尊が馬上から下知する。足軽が縄を木柵に掛けようとしているが、福屋隊の反撃にあってうまくいかない。

 そのとき、福屋隊の福屋越後守、小林大和守らが本城隊の横から矢先を揃えて激しく突き入れ、本城隊が浮足だつのを見て、まっしぐらに掛かってきた。

 本城隊はたまらず後退しはじめた。小笠原隊も後退せざるをえない。

「退け」

 明尊が福冨党をひとまず退かせた。すかさず雲州勢の牛尾遠江守一千余騎が本城、小笠原隊と入れ替わったので福屋隊が劣勢となった。ここで、芸州勢は出羽元實三百余騎が助けに入って両軍入り乱れて激しい戦いとなった。

 混戦となれば多勢が寡勢を圧する。徐々に雲州勢が優勢となってきた。

 その勢いに乗り、卯山、湯隊四千余騎が吉川元春の本陣へ切りかかった。

「突っ込むぞ」

 ひと息いれた明尊ら福冨党も激闘のなかに突入した。

 辰の刻(午前八時)ごろから午の刻(十二時)ごろまで熾烈な戦いを展開したが敵は崩れない。

「味方は敵の三倍ぞ、一気に押し込め」

 明尊の声もかすれてきている。敵も味方も疲れ果てている。

 そのとき、吉川隊の後方から喚声が挙がり、新たな軍勢が突入してくるのが見えた。

「敵か、味方か」

 両軍が注目した。

 明尊は、押し寄せて来る軍勢の旗をみた。三巴の紋だった。

―味方ではない・・・敵だ。

 小笠原、本城隊の失望に反して、芸州勢は、三巴の紋なら小早川隆景か杉原盛重だということを確信しておおいに喜び勇んだ。

「ウオーッ」

 芸州勢の喚声が力を盛り返している。

 杉原盛重隊だった。盛重は去る正月に毛利家の後押しにより家督相続したばかりで、吉川元春の魁となるべく備後国から八百余騎を引き連れて出発していた。その道中で多くの出雲勢が本城の館へ着いたことを聞いて、合戦がはじまる前に馳けつけようと、終夜急いで馳け、出羽表に着いて見ればすでに合戦がはじまっていたのだ。

「吉川の陣へは吉田から加勢が来た」

 雲州勢が逃げ腰になってきた。すかさず、元春が采配を打ち振って先頭に立って攻めてきた。

 雲州勢は耐えられず引き下がったが、小笠原、本城隊はなおも踏みとどまっているところに杉原隊が横合いに殺到してきたので、たまらず押し崩されて引いていく。

 追撃する吉川、杉原隊に小笠原、本城、雲州勢は百五十人余が討ち取られた。

 吉川、杉原隊は、四、五町(四、五百メートル)まで追いたてたが雲州勢が多勢なので深追いを避けて引き返し反撃に備えた。

―敵は、味方の半分もいないではないか。それに負けるとは、あまりにも不甲斐ない。

 明尊の慙愧は、そのまま小笠原隊全体のものだ。

「反撃するぞ」

 小笠原隊が態勢を整えたが、数十町(数キロ)も退いた雲州勢は、敵には吉田から続々と応援が駆けつけていると聞いて、その後は、戦おうともしなかった。

 吉田へも雲州勢が石州へ打ち出したと注進がきたので毛利元就は熊谷伊豆守、熊谷兵庫助、三須筑前守、天野民部太輔、山縣筑後守ら三千余騎を加勢として急遽出発させた。益田越中守、佐波常陸介等も二千余騎で馳けつけた。

 牛尾、卯山、湯隊は大田まで退いて、本城は自城に入って地の利を活かして敵を防ぐこととした。こうなれば、小笠原隊独自ではいかんともしがたい。温湯城に籠らざるを得なかった。

 その後は、両軍とも攻勢にでなかったので戦にはならなかった。

 まもなく吉川元春ら芸州勢は引き上げていった。

 毛利の小笠原攻略は失敗に終った。しかし、小笠原家にとっても、大敗を蒙った戦であり、毛利一族の力をまざまざとみせつけられた戦だった。

 

 三月七日、小笠原方の寺本伊賀守、寺本玄蕃允、河邊讃岐守ら四百余人が籠っている日和城に、『敵方の山縣小七郎が三百余騎で山吹城を出て、周辺の民家に放火している』との注進がはいった。大森銀山の山吹城には、毛利元就の家臣束賀山城守高畠源四郎の両人と検使役として吉川元春から遣わされた山縣小七郎が籠っていたのである。

「こしゃくな、山縣め」

 寺本伊賀守は、山縣小七郎を討ち取るべく軍勢を繰りだした。山縣小七郎の帰路を塞ぐように山陰、薮原に兵を隠し、二百人ばかりを率いて、山縣小七郎の後を追った。

 日暮れになって引き返そうとした山縣小七郎が、追跡してくる寺本隊に気づいて防戦しようとするところに、山陰、薮原の伏兵が五十騎、三十騎と喚声を挙げて挟撃した。

 四方八方から攻撃を受け、思いもかけぬ奇襲に狼狽した山縣小七郎の兵は、いたずらに騒ぎ立てるばかりで堪えられず逃げていった。山縣小七郎も四、五町(四、五百メートル強)まで逃げたが寺本隊の追撃が激しく、味方の兵が多人数討たれているので、ただひとりひき返して数百人の寺本隊を相手に激しく戦った。けれども、援護する味方は無く、多勢のなかに取り囲まれ傷つき力を失ってきた。

「あっぱれなる武者よ。それがしが相手になろう」

 寺本伊賀守は、山縣小七郎を雑兵に首を取られるという武士の恥辱から救ったのである。

「ありがたき、武士のなさけ、いざ尋常に…」

 山縣小七郎は、最後の力を振り絞って槍を繰りだしたが、たちまち寺本伊賀守に突き伏され首を取られた。

 山縣小七郎の兵も四つの首を討ちとっていたが、大将が討たれたので我先にと逃げていった。

 

お夕の結婚

  弘治三年(一五五七)春、室神山に霞みがかかっていた。

 小笠原氏と佐波、福屋勢との熾烈な戦いは続いている。

 緊迫した毎日が続いていた。

 刀の手入れをしている本丸館の庭木に小鳥が集って、せわしなく動き回っている。

 春日和が戦いに明け暮れる明尊の心を癒してくれる。

 久しぶりにゆったりとした気持を持っていた。

 母の由貴から来客の知らせをうけた明尊は三の丸館に下りた。

 八神屋與次郎兵衛だった。

「やー、叔父御」

 気安く挨拶をしながら部屋に入った明尊が與次郎兵衛の背でうつむいている夕をみて、おもわず大声をだした。

「お夕か、きれいになったのー」

 あざやかな濃紫の着物に野菊柄の帯を締めた夕の姿は、ややふっくらとした顔の白い肌をきわだたせ、ぬけるような美しさだ。

 長い髪を背で結び、一輪のつつじの花が無造作にそえられている。夕は、まぶしいほどに艶やかに輝いていた。夕をみつめる明尊の眼が戸惑っていた。

「いまが一番いいときですから」

與次郎兵衛がにこにことしている。

「というと結婚の話でもあるのですか」

 母の由貴が夕の顔をのぞきこむようなしぐさをした。

 夕の紅く染まった顔がうつむいた。

「そうです。いい話がまとまりましたので、ご報告にあがりました」

「それは、めでたい。それで、婿どのは誰ですか」

「博多で巾広く商いをしている内田屋孫兵衛殿の息で千太郎と申します。内田屋は商い仲間でして、八神へもしょっちゅう来ます。なかなかいい男です」

「博多ですか、遠い…。母のさちが寂しがるの」

 ふと、明尊の胸に寂寥感がよぎった。

「さちも一緒に来てくれと先方も言ってくださるのですが、さちは八神屋に残りたいと申しております」

「一緒にいけば夕も心強いのにの」

「さちのことですから、自分まで迷惑をかけられないと遠慮しているのでしょう」

「さちらしいのー…それにしてもお夕、よかったのう。母と別れるのはつらいであろうが、女は結婚するのが一番じゃ…母も喜んでおろう。」

 夕がふかぶかと頭を下げた。うなじから背にいたる白い肌が艶やかに輝いていた。ふと、一瞬、明尊はたじろぐ思いがしていた。

―このまま別れていいものだろうか。

 己の哀しみが、そこに見えたような気がしていた。

「ありがとうございます」

 夕が言ったようだが、あまりにも声が小さすぎて明尊の耳には届かない。

 夕が四ッ地蔵城へ来たのは初めてだった。明尊も叔父と会うときは城の主殿をさけて私的な館で会うことを常としていたが、夕にとってはその区別がつかない。城内へ入ったということで平常心を失っているようにも見えた。與次郎兵衛の背に隠れるように縮こまっている。

 声もいっそう小さくなっていた。

「お夕そんなに固くなるな、小さいときは兄のように慕ってくれたではないか。儂が行くとすぐ手をとりにきたぞ」

 うなじを真っ赤に染めてうつむいている夕を、かばうように與次郎兵衛が話し出した。

「夕は、わたしどもの娘として嫁がせます。八神屋の舟を豪壮に仕立てて送り届けますよ」

 與次郎兵衛の眼が細くなった。

「それは、ありがたい。儂からも礼を言います」

「わたしも久しぶりに舟に乗ることになります」

「そうですな、ご嫡男に跡目をゆずられてからは、あまり海へ出てないでしょうから」

「お夕、これを譲りましょう、お夕は商家へ嫁ぐのだから、このようなものは必要ないでしょうが、タンスの底にでもしまっておくがいい」

 明尊の母由喜が帯びに差してあった懐剣をさしだした。紫の袋に入れられた懐剣をみて、驚いたのは明尊である。

「母上、それは」

 明尊のことばを手で制した由喜は、

「これは、わたしが嫁に来るとき、母が持たせてくれたものです。幸いに今まで使うこともなく来れました。ですが、これを持っていると気が落ち着きますよ」

 恐縮して手が出せない夕に強引に持たせた。

「お夕の父茂吉は郡山城攻めの合戦で、わたしの夫相安を助けようと、己の身を楯として一緒に死んでくれました。今も天国で二人して、お夕を見守ってくれているでしょう、わたしがこの懐剣を、お夕に持たせようと思いついたのは、相安の意思だと思います」

「母上、ありがとうございます。急のこととて儂には思いつかなかったことです。夕、遠慮せず頂け、いいお守りになるぞ」

 両ので受け取ったものの、どうしたものかと迷っている夕に代り、由喜が夕の帯に懐剣を差し入れた。夕のほおを大粒の涙がながれた。

 與次郎兵衛がふたりのやりとりを笑顔でみつめている。

 明尊は夕と初めて出会ったときのことを思い出していた。山奥の一軒屋で三歳の女児が一日中ひとりで母親の帰りを待っていた。狼や山犬の多い山中のことであり戸外に出ることもできない、一日中、薄暗い家の中にいた。そういう毎日を過ごしていたという。

 さちと夕を預けたとき與次郎兵衛は、『ものずきな』と思ったらしいが、明尊には見過ごすことができなかった。

―よかった。

 明尊がつぶやいた。夕には、幸せになってほしいと思った。

 それにしても…明尊は心の底に漂う名状しがたい寂寞をもてあましていた。

 

この年弘治三年、明尊も結婚した。妻の名を、さよという。越堂清左衛門の娘である。 

 城のすぐ近く五町ほどのところ、室神山登山道入口近くに清左衛門の屋敷がある。

 毎朝、屋敷の前を通って室神山に登っているのだが、さよを見たこともなかった。

 結婚式の夜、城門を潜る花嫁の横顔を、三の丸の塀に身を隠して覗ったのがはじめてであった。

 翌永禄元年(一五五八)、明尊の嫡男昌康が生まれた。

 

 

四ッ地蔵城の戦い

 弘治元年(一五五五)四月十六日(新暦五月六日)払暁、河上(かわのぼり)村の渡しを軍勢がぞくぞくと渡っているという知らせが入った、三千人余いるという。

「そのなかには福屋氏の幟があります」

「福屋どのじきじきのお出ましか」

「間違いありません」

 福屋氏の当主隆兼が陣頭に立って小笠原領に侵入したとなると、これは容易なことではない、これまでのような国境の小競り合いとは違う。一国一城の生死を問われるほどの戦いを覚悟していることとなる。福屋氏も、本腰をいれて戦うつもりのようだ。 

 明尊の指示を受けた伝令の士が御屋形のもとへと走った。

 さらに明尊は三人を一組とした物見(斥候)を二組出した。一組は敵の本隊追尾用であり、一組は四ッ地蔵城に向かって来つつある別働隊に密着して情報を集める為である。三人のうちの一人が敵に密着しながら張り込みを行って、敵の行動パターンを探り、あとの二人が伝令として走る役目をもっていた。

 同じ頃、緊急の招集を受けて四ッ地蔵城にも軍勢が飛びこんでいる。

城内が慌しくごった返してきた。

 本丸では甲冑すがたの明尊が、おもだった郷士らと軍議を開いていた。

 長良村に上陸した敵は、その勢を二手に分けて三百ほどが四ッ地蔵城に向かっている。

 すでに市村辺りまで来ているという…一里ほどの近距離だ。四ッ地蔵城が標的にされたことは未曾有の危機である。

「三百か…三百では、この城はとれまい。抑えとして残したのだ。儂を城に閉じこめて他の小笠原方武将が拠る城に本隊を進めたにちがいない。ならば、この城を潰すという気迫はないだろう、橋は落すな」

 圧倒的優勢な敵に攻められて濠にかかる橋を落すことは「籠城して徹底交戦をする」という意志表示を内外の将兵に知らしめる手段でもある。

「三百ぐらい、なにほどもあろう。殿、ただちに出陣して蹴散らしましょうぞ」

 重臣の山田重兵衛が口角泡を飛ばして息巻いている。日焼けした赤ら顔が黒ずんで見えた。今は年をとってしまったが若い頃の彼は、戦で常に先頭に立って働いていた。

その姿は実にみごとだった。泰然と死地に飛び込める男である。

「いや、わが領内での戦は極力、局地戦でいくべきだ、この城に引きつけて城の攻防に導く、領内の田畑を戦で蹂躙してはならない」

 だが三千人の福屋勢が一気に攻めて来たならば、わずか百名余りしかいない四ッ地蔵城は苦戦を強いられる。そのときは三の丸をすて、本丸と二の丸で戦うことになる。 

三の丸に敵を誘い込む。

本丸、二の丸へは急峻な崖となっているから、敵は、右往左往する。

そこへ、本丸、二の丸、見張台、大門等から逆落としの反撃を食わせて撃滅する。初代治堅が精魂を込めて築いた堅城である。敵が三百しかいないのなら、その必要もない。

 城内は生気がみなぎり、闘志が湧きあがってきた。

「いや、本隊が何処へいくのか見極めてからだ」

 明尊は悠然とかまえて動こうとしない。

 物見からの伝令が次々と入ってくる。

「敵の本隊は江川北岸を遡上し、田窪村の寺本伊賀守さまと対峙して川岸に陣を張っています」

 伊賀守も小笠原家臣である。

「敵は、この城と日和城を一気に潰すつもりでしょうな」

「いや、儂を封じ込めておいて日和城を潰すつもりだろう。それから御屋形さまを攻めるつもりだろう」

 道順からいえば、まず、四ッ地蔵城を潰してから日和城にいくのが筋なのだろうが、日和城を攻めたとなると福冨七郎左衛門の力をみくびったということだ。

 忠左衛門が小癪なといわんばかりに肩を怒らしている。

「三郎左衛門どのはどうしている」

 明尊が日和城へ馳せ参じるとなると、都治村の佐々木三河守と田中三郎左衛門が気になる。二人とも福屋方の有力武将である。明尊がうかつに動くとたちまち背後を突かれる。

小笠原氏と福屋氏とは姻戚関係にあり、これまでは諍いが起きることなど一度も無かった。あくまで親和と共生にある。とはいえ、今度のように小笠原、福屋両家が相争うことになると、三河守と三郎左衛門も過去の友好に蓋をして戦わなければならないだろう。

「いまのところ静観していますが、やがては福屋氏に味方するでしょう」

「日和城の会戦は明日の朝になるものと思われます」

「こちらへ向かってくる敵は、物見も出さず、ただ、ぞろぞろと歩いているだけです」

 敵は、われわれを牽制するだけの示威行動だけで済ますつもりらしい。

「よし、兵たちの腹ごしらえを済ませておこう」

 物見の報告を分析していた明尊が立ちあがった。

 

 三の丸を開放して兵らの飲み食いがはじまった。戦いを前にして気も高ぶっているのであろう、ワイワイガヤガヤとなかなか賑やかだ。

 明尊には、ひとつだけ気になることがあった。都野駿河守の動向である。四ッ地蔵城の南方一里のところにある仙本崎城の城主である。都野氏は鎌倉時代末の嘉元二年頃、石見に入部したといわれている。南北朝の争乱では福冨七郎判官とともに南朝方として働き、後に都野氏は北朝方に付いたが、福冨七郎判官は南朝方として壮絶な最後を遂げた。

都野氏が北朝方に付いたときには、すでに石見諸士のほとんどは北朝方に付いたあとであり、その時期を失していたたため、室町時代には小笠原氏や福屋氏のような大名にはなれなかった。だが、戦国時代になって盛り返し、川上、田野、多田、大島、小林、月森、横田、山藤と都濃郷に所領をもっている。

 一時期、小笠原氏の傘下に組み込まれていたこともあったが、今では小笠原氏や福屋氏とも一線を隔して、その地位を保っている。

都野氏は福冨に対して、常に親昵の間柄を崩さなかった。そんな都野氏のことを明尊は、畏敬をもって接してきた。

 都野氏が、こたびの戦でどちらに加勢するか気になるところだが、

―ここは、どちらにも付かず、静観してほしい。

 明尊の願いであった。

 濠の外側に敵勢が粛々と集まっている、いやに静かだ。

 わずか三百余とはいえ、城前面の狭い谷は敵の将兵で立錐の余地もない。

 敵ながら林立している旗指物が壮観だ。

 

 その夜、重兵衛と喜兵衛の指揮する二十人が城の西側掘割に出る間道を抜け出て、敵の側面にまわった。四ッ地蔵城へ来てからは、明尊の剣術指南に専念し、戦場へ出なくなった重兵衛にとっては久しぶりの出陣である。重兵衛は、いちど被った兜を脱いで白髪の目立ち始めた頭に赤い布の鉢巻をした、凄まじい気迫がみなぎっている。

「では、殿、御武運を。」

 出陣の儀礼として交わす言葉に、少しの乱れもない。

「お頼み申す」

 明尊が慇懃に送りだした。

 重兵衛らは狭い谷間の其処彼処で燃えさかっている福屋軍の篝火を巧みにかわしながら闇に消えていった。

 さらに忠左衛門率いる二十人が東側の山を越えて敵の背後にまわった。

 二隊は闇にまぎれて敵に気づかれることなく、それぞれの配置についた。

 朝、暗いうちに朝餉を済ました明尊は、いまだ夜の明けきらぬ薄やみのなか、本丸の一角に奉じてある四ッ地蔵尊にお参りして戦勝を祈願した。

 手燭の灯りが、暗い御堂の中で正座している明尊と妻のさよを照らし、長く延びた影が壁で揺れている。外は意外に静かだ。

「ご武運を」

 さよが静かに明尊の前に両手をついた。

 自分の城が攻められている。今まで経験したことのない危機に直面している。まさに危急存亡の秋(とき)なのだが、さよの心に乱れはない。たんたんと運命に身をまかせている。

 だが、白い顔にわずかではあるが緊張の気配が現れていた。

 万が一、四ッ地蔵城落城ということになれば、明尊とさよは城に火をかけて、この御堂で自決することになる。逃げまわって命ごいをするような明尊ではないということを、さよは知っている。

 そのときは明尊にすべてを委ねる決意を持っている。それが、さよの顔に緊張として現れているのであろう。

「心配するでない、心配はいらん」

 明尊がうなずいた。

 御堂を出た明尊は縁側で大きく息を吸った。

 将兵を三の丸広場に集めた。

「これから、面白い戦術をみせようぞ」

 明尊が大音声で将兵を鼓舞すると力強く采配を振った。

 三の丸に林立していた百本の幟を、あらかじめ決められていた城の出入口三ヵ所と南北の塀際に二十本づつ移動させた。陽動作戦を展開したのである。敵の目を、この一帯に集めるためだ。

「見ろ、敵も我々の動きに合わせて移動しているぞ。我々が、どの出口から出撃してくるのか分らない敵は、すべての可能性に備えようとして兵力を分散させているのだ」

「一泡吹かせて見せるぞ」

 明尊の顔に気概が横溢していた。槍の穂先が星に煌いた。

 敵は三百人の兵を五ヵ所に分散させたため大門の備えは八十人しかいない。

 それぞれの部署に幟を移動させた兵が幟だけを残して帰ってきた。

「敵に、さとられなかったか」

「首尾よくいきました、敵は向こうで我々の出撃を待ち構えております」

 全兵力が明尊の前に集まった。

「皆も見るがいい、大門前の敵は八十名ほどしかいない」

「では次ぎの戦術に移れ」

 明尊の回りに精兵を十名だけ残して、越堂清左衛門に率いられた二十名が大門道の両崖上にある塀に隠れて配置に付いた。

「法螺貝を吹け」

 明尊の大音声が轟いた。

 明尊が槍をとった。

 ガチャガチャガチャと明尊の動きにのって甲冑が鳴っている。

 城主出撃の法螺貝が鳴り渡った。

「門を開けよ」

 馬上の明尊が命じた。

 明尊の声音に少しの変化もない、平常心である。その姿は、なんともいえない威風があった。

 四ッ地蔵城の大門がきしみ音を立てながら開いた。

 城内の動きを察知した敵が、あわただしく動き出した。敵勢の法螺貝が鳴りわたり、甲冑や武具の擦れる音や馬蹄が谷間に盤踞している。

 まさか明尊らが城を出てくるとは思ってもいなかったのであろう、滑稽なほどあわてふためいている。

 明尊が先頭に立って群る敵勢の中に突進した。

「敵の大将が一番に突入してくる。」

 福屋勢にとっては願ってもない好機だ、明尊めざして我先に群った。

 槍ぶすまをつくって押し包み、明尊を打ち取ろうとした敵勢の中から、数本の槍が宙を飛び絶叫が走った。あっという間に数人の首が体を失っていた。

 明尊を頂点とした福冨党の将士が大岩に楔を打ち込むように、一塊となって槍を振るう。

 福冨党は、縦横無尽に動きまわる明尊にピタリと隋いて闘っている。

 敵の大軍が割れて力を削がれた。

 血飛沫が悲鳴とともに飛び交う。

「よし、これでよい。退くぞ。鉦をならせ」

 明尊が馬首を返し大門の中に走りこんだ。

 福冨党の将兵が算を乱して城内に逃げ込んだ、と敵兵には見えた。

 それっとばかりに敵兵が群って大門を襲ってきた。

 明尊の合図を受けて弓弦がキリキリと大門に反響した。

 このとき福屋勢は大門の望楼に、ひときわ煌(きら)めく女武者を眼にして立ち止まった。さよの勇姿であった。赤紫の小袖に朱糸威(あかいとおどし)の鎧を着け、額(ひたい)には白銀の天冠が鈍く光っている。いまだ明けきらぬうす闇のなかで神々しく輝いていた。あまりの美しさに見惚れて立ち止まった福屋勢めがけて、さよの強弓がうなりをあげた。侍大将がもんどりうって倒れた。さよの放った矢は過(あやま)たず、侍大将の眉間を貫いていた。

「おー」

 望楼から歓声があがった。

「放て」

 清左衛門の号令に弓矢が風を切って飛び出した。大門前に群っている敵兵を両崖の上から狙い射ちでしとめていく射撃は的確だ。

 一方的な殺戮となっている。

 濠の橋を渡って大門へ殺到しようとしていた敵勢が至近距離からの矢を受けて、次々と斃れていく。

 敵兵を襲う矢は大門の望楼と大門道の両側崖の上からと間隙なく続いた。

 敵は狼狽し、うろうろするだけで反撃もできず地に伏した。

「今こそ総力を挙げて戦うときぞ。福冨党の力を見せようぞ」

「おー」

 喚声を挙げ弓を槍に持ち替えた福冨党の将士が明尊を頂点とした突撃態勢を組んだ。

 明尊率いる本隊四十人が大門から打ち出た。

 将兵の血をたぎらせる法螺貝が鳴りひびき、角立て四ッ目結いの大将旗が高だかと掲げられた。陣太鼓が打ち叩かれている。

「見ろ、敵は何の策もとらず、団子になってむかってくるではないか。敵に作戦なし、勝ちはわれにあり」

 明尊の哄笑が谷間に轟いた。

 まさにそのとき、後方から敵を包み込むように法螺貝が鳴り渡った。

「なにごとだ。」

 敵勢が耳を澄ませるまでもなく、暁闇のなかから湧きあがるように、重兵衛と忠左衛門の隊が敵の側面と背後から猛然と襲いかかった。

 敵勢のなかを、叫喚がうずまいた。

 両軍の鬨の声、雄叫びが狭い谷間を圧した。

 三方から攻撃を受けた福屋勢は、たちまち戦うことを放棄して逃げだした。

「追え、敵に膚接して追え、間隙を与えるな」

 福冨党の軍勢が逃げる敵に追い打ちをかけて討ち取っていく。

 逃げ送れて濠に落ちた敵兵が泥沼に足をとられて立ち往生したところを、城内の兵が狙い打ちで矢を放って仕留る。初代治堅が築城の際に勝負留めとして構えた底無し沼の濠だ。

 ひとたび入ったなら、たちまち自由を奪われる。弓での狙い撃ちは静止した的を射るのと少しも変わらず容易い。

 濠のなかを血が走り、泥水が赤く染まっていった。

 

 やがて、敵の首級を取った将兵らが意気揚々と集まってきた。

 それらの首級を記録するのももどかしく、明尊は重兵衛隊を城に残して馬首を日和城に向けた。

「さあ、これからが本番ぞ。戦いが終わるまでに行かねばならん」

「田窪村では、まだにらみあったままです」

 物見が連絡してきた。

「こちらのことは、まだ気づいていないだろうな」

「だいじょうぶのようです。敵の目は前面の日和城に集中しています」

「そうか、こういうとき、われわれのような小勢は便利だの、相手に気づかれにくい」

 明尊らは住郷村の天満宮境内で小休止とした。ここなら戦端を開いてから動けば丁度いいころあいに突入できる。

「火は使うな、ただちに出発できるよう心して休憩しろ」

 明尊の下知が、全員に伝えられた。

「殿の采配、みごとですな」

「孫氏の兵法を実践してみただけだ」

「孫氏ですか、すばらしい兵法ですな」

「孫氏の兵法は、戦う気のない百姓らをいかにして戦わすか、ということに尽きるさ。儂らも見習うことは多い。儂らも郷士連中の戦う気を如何にして起すかということに頭を悩ませているからの。今回は、たまたま、うまくいったということだけだ」

「それがしも、郷士の端くれですが」

 佐々木喜兵衛がニタリと笑った。戦を前にした緊張というものが全く顔にでていない。

平常心そのままの喜兵衛であった。

「この分なら一戦も交えずに勝利ということもありえる」

「戦わなければだめだ。戦って高名を得てこそ、武士の本分というものだ」

「殿は、戦となればあいかわらず剛毅だ」

 忠左衛門が満足そうにうなずいた。

 

「始まりました」

 物見が大声で叫びながら疾駆してきた。

 日和城の方角から凄まじい戦闘の響が聞こえる。

「よし、行くぞ。儂に続け、敵の背後を衝く」

 愛馬に飛び乗った明尊が先頭に立って突撃していった。

 日和城下の田窪村では小笠原勢と福屋勢が激烈な戦いを展開していた。まさに、そのとき、福屋勢の後方から福冨党が突入して挟撃したのだ。

 現在においても『横槍をいれる』ということばが残っているように、戦国時代の戦において、軍隊は前面の敵には強いが、側面や後方から攻撃されると脆(もろ)く、たちまち崩れてしまうことが多かった。

 福屋勢は、ほうほうの体で逃げ去った。

 

 

 しかし、福屋勢の侵入は執拗になるばかりである。

 

 四月下旬、温湯城を攻めようと侵入して来た福屋勢を小笠原勢が川越の田津で迎撃撃退した。

 福屋勢の小笠原領侵入は毛利の命によるものだ。毛利は、福屋、出羽、佐波らに命じて小笠原包囲網をかためつつあったのだ。

毛利元就は、なんの名分もなく、小笠原領への侵入を画策している。これを討たねば武家の面目が立たん」

 小笠原勢は、尼子の後援を受けて、毛利領内の侵食を始めた。

 

 弘治二年(一五五六)三月十八日(新暦四月二十七日)、元就の次男吉川元春が石見へ侵入してきた。

 小笠原勢は、からくも撃退したが、大森銀山を取られてしまった。

 

八神屋(やかみや)襲撃

  天文二十二年(一五五三)明尊も二十歳になった。

  周辺の田んぼも田植えが終わり、青々とした早苗が日増しに丈を伸ばしている。

  風に紛れてかすかな木鐘の音が聞こえてくる。

 本丸西側の塀ぎわに立って、風の音と木鐘の音を聞き分けようとしている明尊の背後から、

「なにごとでしょうな…」

 息せききって上って来た忠左衛門が、肩で大きく息をしながら不審そうな声をだした。

 木鐘なら緊急事態発生だ。

「わからん、西からだ…八神屋(やかみや)の方角だ」

「なにかの警鐘でしょうが…聞き取れませんな」

「八神屋が野盗に襲われたのか…」

「野盗ぐらいなら、八神屋も引けをとることはないでしょうが…・・何人ぐらいいるのか敵は…」

「海の上では、海賊と渡り合う八神屋だ、襲ってくるやからはいないだろうが…」

 耳がなれて、木鐘の音をはっきりと聞き取れるようになった。

 緊急事態だ。

「陣ぶれをだしましょうか」

 八神屋は、親戚である,襲われたとあれば救援にいかなければならない。

「とにかく行ってみよう、兵の召集は、ことがはっきりしてからだ」

 明尊が本丸から城門にむかって駆けおりた。

「殿のおでましぞ、馬をひけい」

 忠左衛門が明尊のあとを追いながら、大声で大門横の厩に指図した。

「甲冑はいらんぞ、ついて来い」

 十二、三人の家人があちこちの建物から飛び出して、馬にまたがっている。

 城門が、きしみ音をだしながら徐々に開くのも、もどかしく馬腹をけった。

 八神屋までは一里(四キロメートル)ほどだ。

 城門をでたところで前方から疾駆してきたひとりの男が、馬から飛び降りて平伏した。

 荷役作業の最中だったのであろう下帯ひとつの裸である、馬に鞍もつけていない。

「八神屋の者でございます、江川の対岸、川平(かわひら)と千金(ちがね)の境目に、おびただしい兵が集結し、渡河の用意をしています」

「何処の兵か」

「旦那さまは、敵の幟をみて福屋の勢だとおっしゃいました」

「福屋さま…・・なぜだ」

 明尊が忠左衛門を振りかえった。御屋形(小笠原長雄)の母は福屋氏の息女である。

 両家の間に諍いなど一度もない。その福屋氏が襲ってくるというのか。

「福屋勢が渡河してくるとなれば、事前に連絡があるはず、これが無いとなれば小笠原領への侵入だ。兵を集めよ、警鐘を叩け」

「承知」

 ひとりが、馬首を返した。

「千金には、月出城の都野三左衛門どのがおられますな」

「三左衛門どのは、わが福冨に好意を寄せてくださっている、都野一族は静観の立場をとってくれるだろう」

「救援は」

「無い。かって、南北朝争乱のおりには、終盤まで南朝方に与したため、足利幕府からは冷遇されてきた。幕府が衰退した今、新たな支配者はだれなのか、慎重に見極めようとなさっているはずだ」

「忠左衛門、兵が集まりしだい来てくれ。御屋形(小笠原長雄)に通報をだせ。儂は、このまま八神屋に飛びこむ」

「承知」

 忠左衛門が馬首を返した。

 福屋勢が上陸するまでに八神屋に着かなければならない。

「がんばれ」

 明尊が馬の首を撫でながら馬腹をけった。

 

 明尊が八神屋に到着したとき、福屋勢はまだ対岸にいた。

 旗指物がせわしなく動いている、舟を集めているようだ。

 八神屋の船着場では、人夫が走りまわって戦闘の準備をしている。

 軒を連ねる土蔵の鍵を閉め、水で練った赤土を出入り口の戸に投げぶつけ覆いかぶせている、焼き打ちを防ぐためだ。

「おじ御、福屋から何か言ってきましたか」

「何も言ってきません。いったい何をしようとするのですかの」

「こちらを襲ってくるかどうかはわかりませんが、兵を上陸させるということは、小笠原領への侵入になります」

 一里ほど上流には、福屋領の渡し口がある。そこを渡らず、八神屋の前面に押し出すということは明白な挑戦だ。

「渡河を始めました」

 土蔵のほうから青い顔をした住人が逃げてくる。

「住人全てを、ここに集めよ」

 八神屋與次郎兵衛が凛とした声を張り上げた。いつもにこにことした笑顔をふりまいている 與次郎兵衛が始めて見せる顔だった。

「集まったら、門を閉めよ、決してこちらからは攻撃するな、侵入してきたやつだけ倒せ」

 與次郎兵衛の下知を受けて人夫が、きびきびと走りまわっている。

 屋敷内の建物に梯子が立てられた。その下に水を張ったが次々と集められている。

 火矢を打ちこまれたときに、すぐ消せるようにしているのだ。

 門がギーッと鈍い音を発てながら閉められた。

 閂(かんぬき)をかけ、内側に米俵を積み重ねて防禦壁を築いている。

 敵の先発隊が八神屋の船着場に上陸をはじめた。

 甲冑を着けている。

 殺気が溢れている。

 福屋の正規兵だ。

「おじ御、これは戦です。福屋が小笠原領に侵入してきたのです。儂が采配を執るべきですが、しばらくはおじ御に執っていただきます」

「承知です」

 毅然たる態度で腕組みをしていた與次郎兵衛が腕をほどきながら、ふっと顔をほころばせた。

大軍を前にして、これから戦を始めるというのに、明尊はすこしの動揺もしていない、平常心でいる。

「おじ御、この前お願いした幟はできていますか」

「二十枚なら」

「それはいい、それに竹竿をつけてください。いつでも立てられるようにして、儂の下知を待ってください」

「承知です」

與次郎兵衛は、それを何に使うのかは聞かなかった。テキパキと指図している。

「二百か…」

 塀際の築山に上がって敵を見ていた明尊は、敵の数を二百人とみた。

 二百人が一気に攻めこんできたら、こんな屋敷などひとたまりもない。

ーなぜだ。

 なぜ、福屋が攻めてきたのか、…なぜ、四ッ地蔵城でなく八神屋を狙うのか明尊には理解できない。城は潰しても非戦闘員である住民は襲わないのが武士の戦なのだ。住民は、殺すより生かして年貢をとるのが武士なのだ。

「わからん」

 明尊が、はきすてるように言った。

 敵兵が次々と屋敷の前に展開している。

敵は海賊と思え、屋敷を船と思え、敵を一歩も寄せ付けるな」

 與次郎兵衛の指揮を受けて、人夫がすばやく臨戦体制をとった。

 人夫が手にしている刀は柳葉刀である。武士の持つ大刀より長さは短いが、太く刀身の先端にいくほど幅広くなっている。狭い船内での戦闘にいかんなく振りまわすことができるように造った船乗り独特の武器だ、この刀でもってすれば日本刀など簡単に折れてしまう。

 たちまち、與次郎兵衛を中心とした戦闘隊ができあがった。

 刀の下げ緒をとって襷がけにした明尊のすぐうしろで、十人の家人が集まっている。

「門の外には出るな。邸内で戦う限り、敵は弓も槍も遣えない。」

「女こどもは、裏山へ避難せよ、万が一、屋敷に火がついたら裏山に延焼することも考えられる、尾根を超えて裏側へ逃げよ、危険のないところまで行け、戦いが長引くようであれば四ッ地蔵城へ行け、あわてるでない、落ち着いて行け」

 與次郎兵衛がやさしい声で言い、庭の築山に上がって外の福屋勢に姿をみせた。

「ここは商家でございます、なにゆえの武力でございますか」

「門を開けよ」

「それほどに兵を向けられては開けるわけにいきません。なにゆえのご無体でございますか」

海で鍛えている與次郎兵衛の声は朗々としてよくとおる。

「福屋さまのご下知により接収する。ただちに開けよ」

「ご無体でございましょう、ここは、小笠原さま御領内です」

「そんなことは百も承知だ」

 空気を張り裂く殺気が與次郎兵衛めがけて飛んできた。

 外からは見えないように塀の陰に隠れていた明尊が太刀で叩き落とした。一本の矢が折れて與次郎兵衛の足元に落ちた。

 與次郎兵衛は、たじろぎもしない、素手のまま悠然として敵に姿を露わにしている。

 それまで、與次郎兵衛の前で屈み込んでいた二人の人夫が立ち上がった。手には白刃を持っている。武力でもって応戦するという意思を露わにしたのだ。

まさに海戦の船頭だ。

 敵の攻撃が始まった。塀を乗り越えて侵入しようとする。

 人夫らが敏捷に動き回りながら敵兵を斃していく。

 みごとだ、下帯ひとつの男が塀を乗り越えようとする甲冑の武士と対等にわたりあっている。

 絶叫を挙げて倒れるのは敵兵ばかりだ。

 敵の後方で鉦が鳴った。

 敵兵が退いた。

「さあ、次ぎは火矢が来るぞ、落ちついて消せよ」

 與次郎兵衛は、築山の上で泰然として指揮を執っている。

 ピシッピシッと風を切って飛んできた火矢が屋根に突き刺さる。

 人夫らが次々と矢を取り払い、水をかけていく。

 実に身のこなしがすばやい。屋根の上を猿のように走りまわっている。

 敵が総攻撃をかけてきた。

 敵の先陣がいっきに塀へとりついた。

 塀にとりつき飛び降りる、その瞬間に生じる隙を人夫らは的確に捉えて斬りつけ突き落とした。

 数にものをいわせて塀を乗り越え、庭に侵入した敵兵に、明尊と十人の家人が斬りかかった。

 明尊の前に面頬を付けた武士が立ちはだかった。

 充血した目がギラギラと光り、殺気をガンガンと放射している。

 敵は甲冑を着けているため動きが鈍い、明尊は小袖姿で動きやすい。

 すさまじい敵の一撃を明尊がするりと躱した。二撃、三撃と打ち込むのを、ことごとく外していく。

「おのれ」

 いらだった敵が、八双の構えをとった瞬間、明尊の体が跳び、太刀が躍った。

 甲冑武士がドッと斃れた。守勢の構えをとりながら一瞬の隙をついて攻撃に転じる一刀斎流の極意・払捨刀である。

 明尊の一閃は、敵の脇の下を横一文字に薙ぎ払い心臓を斬り裂いた。鮮血が幅広の帯びとなって噴出した。

 次ぎから次ぎと襲ってくる敵兵の刃を微妙にし、少しずつを傷つけ、軽やかにしていく。

 まさに一刀斎流の奥義を極めた剣士明尊の姿であった。

 狭い船内での戦闘になれている與次郎兵衛の人夫らも動きが実にすばやい。

 敵兵が完全に守勢にまわっている。

 ついに、侵入した敵兵すべてを斃した。

 敵の攻撃が止まった。

 庭に累々と横たわるのは敵兵ばかりだ。

 福冨党の家人が負傷した敵兵のとどめを刺していった。

 與次郎兵衛の人夫らは、ひとかたまりとなって無表情で見ている。

 皆が無言だ。

 第二陣突撃の太鼓がなっている。

「次ぎは二陣が来るぞ、酒を飲め。元気をつけろ」

 酒樽が庭にだされた。

 與次郎兵衛の声が響き渡る。次ぎは敵の本隊が攻めて来る。

 人夫らが弾かれたように動き出した。酒を飲み、桶の水で、血のりで濡れた手と刀剣を洗い、二度、三度と振り切って水気を払っている。

 次ぎは、敵の総攻撃がはじまる。與次郎兵衛らは熾烈な戦闘を覚悟した。

 そのとき、左手遠くから法螺貝が聞こえてきた。

 屋敷の左手かなたに砂けむりが上がっている。

 明尊の兵が馳けつけてきたのだ。

「ウワー」

 人夫らが歓声をあげ、踊りあがって喜んでいる。

「儂の軍勢が来た、幟を立てよ」

 與次郎兵衛と交代して築山に立った明尊が、血のりの巻いた太刀を振り上げて下知した。

 屋敷の塀際に次々と幟が立ち上がっていく。

「オーッ」

 敵味方双方からどよめきが挙がった。翩翻と立ち並ぶ幟には、紺地に白抜きの隅立て四つ目紋が遠めにも鮮やかに浮き立っていた。

「なるほど、こういうことですか。みごとですな。」

 與次郎兵衛が、立ち並ぶ隅立て四つ目の幟を見上げて感嘆している。

「喚声を挙げよ,エイエイ」

 明尊が白刃を高々と上げた。

「オー」

「エイ、エイ」

「オー」

 人夫らを混じえての喚声が邸内から響き渡った。

 福冨党の軍勢が屋敷の中にいることを敵に知らしめた瞬間である。

 応援の軍勢が、ぐっと近づいている。

 浮き足立った敵の兵が船着場に逃げ出した。

 忠左衛門と佐々木喜兵衛、越堂清左衛門らの率いる、福冨党の応援部隊が殺到して敵兵に襲いかかった。

 すでに戦意を失った敵兵は逃げ回るだけである、次ぎから次ぎへと福冨党の将兵に討ち取られていく。

「おー、みごとな戦ぶりですな,福冨党が強いはずだ。」

 與次郎兵衛を中心にして人夫らが歓声を挙げて応援している。

 敵兵は、おびただしい死者を残して逃走した。

「門を開けよ」

 與次郎兵衛による最後の采配であった。

 

「遅くなり申した」

 息を弾ませた忠左衛門が意気揚揚と屋敷へ上がってきた。

「なんのなんの、すばらしいぶりだ」

 明尊が襷がけしていた刀のさげ緒を解きながら慰労した。

「それにしても、みごとな幟ですな、敵は殿の軍勢が突然湧き出したとでも思ったでしょうな」

「してやったりだ」

 忠左衛門の哄笑につられて明尊も笑いだした。

 人夫らが邸内の後片付けを始めている。

 山から下りてきた女らが、庭に横たわる屍骸を見て呆然としている。

 味方に死者はいない。女らが負傷した者の手当てを始めた。

 お夕が明尊に飛びついた。すがりついている夕の体が小刻みに震えている。

「夕、もう大丈夫だ、悪いやつらは逃げた」

 明尊が、夕の背中をポンとたたいた。

「おー、殿の嫁御も、これで決りですな。」

 忠左衛門がわざとらしく感激の声をあげた。

「はっ」として、夕が明尊から離れ、真っ赤に染まった顔を両手で隠しながら屋内へ走り去った。夕の意外な行動に、明尊が唖然としていた。

―ああ、夕も年頃になったのか、そういえば、もう十三歳だ。

 明尊が納得した。

「おじ御、お夕は、いい娘だ。儂も、あのような娘と結婚したい。でも、儂も、夕も父親を戦で失っている。儂もいつ死ぬやもしれない。夕には、二度とあの悲しみをさせたくない。夕を、武家へやりたくない。おじ御、夕にいい婿をみつけてやっていただきたい」

「おっと、殿、これは失礼を言ってしまいました。軽い気持ちで、夕をからかったのです」

 忠左衛門が左手で己の兜を叩いた。

「よくわかりました、殿の御心が、夕に伝わるかどうか…しかし、この役は、彩の方が適任だ」

 與次郎兵衛が、妻のを振り返った。

「はいはい。いつも損な役はわたくしに廻ってきますものね」

 彩の顔にも笑顔が戻っている。

「夕には、私がいい婿をさがしましょう」

 與次郎兵衛の目に優しさがよみがえり、普段の好好爺に戻っている。

「それにしても、殿の剣術も、凄いですな、まるで蝶が舞っているように軽やかで、思わず殪した敵兵を数えてしまいました。十六人までは記憶にあるのですが…それで呼吸も乱れていない」

 與次郎兵衛の感嘆はとどまることを知らない。

 その時、御屋形の伝令が疾駆して来た。

「御屋形さまの出陣でございます、福屋勢が日和と川越に侵入してきた由。御屋形さまは、甘南備寺に本陣を定められてござります」

「なに…福屋勢が侵入したのは、ここだけではないのか、これは容易なことではない。忠左衛門、儂は甘南備寺へ行くぞ、貴殿は、ここへ残って後始末を頼む。明日、甘南備寺へ来てくれ」

「承知」

「討ち取った敵兵の首注文を頼む」

「おじ御、後を頼みます」

「承知です。後は、わたしどもで始末をつけておきます」

 明尊は、忠左衛門以下二十数名の兵を残し、六十余人の将兵を率いて甘南備寺に向った。

「エイ、エイ、オー」

「エイ、エイ、オー」

 人夫らが鬨の声で見送っている、あかるく喜び勇んだ歓声だ。

 八神(やかみ)地区へ侵入しようとした福屋勢は明尊が撃退した。

 しかし、これは、これから始まろうとする紛争の前哨戦でしかなかった。

 尼子氏を後ろ盾として反毛利の動きを鮮明にした御屋形小笠原長雄に対しての攻勢だ。

 小笠原氏と福屋の諍いが始まった、それが毛利の差しがねであることは明白である。

 これまで数代にわたって交誼を保ってきた両家の絆が切れたのだ。

 累代にわたって佐波(さわ)氏と戦っている小笠原氏は、福屋氏との諍いを起こさないよう配慮してきた。それが崩れたのである。佐波氏と福屋氏に両面から圧迫されはじめた小笠原氏は、いよいよ隣国に気を許せない状況となった。

 四ッ地蔵城も福屋氏との最前線になった。

「一兵たりとも我が領内へ踏みこませないぞ」

 明尊の気迫は、ますます大きくなってくる。

 

 天文二十二年(一五五三)十二月二十一日(新暦一月二十四日)、小笠原支城琴平山城に対して福屋勢が攻撃をかけてきた。戦線は日和から川越へと領境周辺に拡大していった。

 天文二十三年(一五五四)二月二十日(新暦三月二十三日)、川越の大貫に福屋勢が侵入してきた。小笠原勢坂根小三郎が寡兵でもって迎え撃ち、福屋の将福屋上総介を討ち取って撃退した。

 弘治元年(一五五五)三月四日(新暦三月二十六日)、銀山の兵力増強のため派遣した小笠原軍と、これを阻止する佐波興連の兵が吾郷の竹で戦い、三月二十七日(新暦四月十八日)には川下郷畑田の飯山(仙岸寺裏山一帯)で交戦した。いずれも、小笠原勢が優勢に戦い、撃退した。

 十一月十七日(新暦十二月二十九日)、福屋勢と平田彦兵衛尉が交戦し、彦兵衛は首ひとつをとりあげた。

 小笠原氏は、まったくもって四面楚歌となった。東から佐波興連、西から福屋隆兼、北からは、物不言城の吉川経康、南からは吉川元春と、周辺すべてが敵となってしまった。

 

秘剣・稲妻

 天文二十一年(一五五二)夏、

 太陽が山の陰に没して、西の空を茜色に染めていた最後の光も、わずかばかり残すだけとなっている。

 音もとどかぬ遠いかなた薄暮の空に、くっきりと立ち上る入道雲のなかで、しきりに稲妻が奔っていた。

 雷神が雲中で暴れまわっているらしい。雲のなかだけが煮えくりかえっている。めずらしい現象だ。

 雷神の正体を掴みたいと瞬きもしないで入道雲を見つめているが、雷光は、明尊の視点をみごとに外し、とんでもない場所で奔る。はっとして視線を移した明尊が掴みえるのは光りの残影だけであった。

「あれだな」

 師重兵衛がなにかを決心したようにぽつりと言った。

 剣師山田重兵衛による剣技伝授は続いていた。

 最近では、二人が木刀で打ち合うということは少なくなり、もっぱら口伝が増えていた。

 一刀斎流は、対手(あいて)が打ち込んでくるのを、払って払って払い捨てるところに本意がある。払捨刀(ふっしゃとう)だ。没我無心となり身を捨てることが根本となるが、奥義を極めた者には、秘剣というものを持つ者がいる。誰がどのような技を持っているのかは不明だ。払捨刀が『静』であるかぎり、『動』すなわち攻撃が必要となるのだ。あの稲妻のように対手には残影だけしか見ることのできない鋭い剣技を会得する必要がある、これを秘剣とする者は多い。

 重兵衛が重大な決心をした。己の秘剣を明尊に伝授するときがきたようだ。

 翌日、重兵衛と明尊は二人の小者を連れて城を出た。ひとりは寝具を担ぎ、もうひとりは米や味噌、塩などの食糧を持っている。

 一行は、城を出て掘割を渡った。そのまま尾根を登って一本杉と呼ばれる大杉のところに出た。この道をさらに直進すると浅利寺(せんりじ)の山門に至る。文徳天皇のころ、海女の娘から都へ召され、宮仕えした浅利姫の菩提寺として知られる寺である。

 一行は、道を逸れて雑木をかき分けながら絶壁を回り込むように下った。

 昼でも薄暗い竹林のなかに小屋があった。

 もう何年も前のことになるが、明尊が剣技研鑚の場所として建てたものである。

 絶壁を背にした間口一間半、奥行き一間ほどの板葺小屋である。前に立つと裏の絶壁が聳え立ち、小屋はいかにも小さく見えた。

 絶壁は、下部が深くえぐれ、上にいくほどひさしの様にせり出していた、波が削った痕跡である。太古の時代には海岸であったことを現していた。小屋は岩に食い込むように入り込んでいる、これなら、たとえ、上から落石があっても小屋にあたることもない。

 前方には孟宗竹の林がひろがって、その中を谷川が流れている。毎年、籠城用の筍をとっているので孟宗竹の間隔はほどよく空き、剣術の修業にもってこいだ。

 小者のひとりが板戸を開けようとしたが、湿気で膨張した戸は重く、容易に動かなかった。

 ふたりの小者が、声をかけ力をあわせて一気に開けた。

 にぶいみとともに戸が開いた。

「なんだ」

 室内をみた四人が唖然として言葉を失った。

 小屋の全面が白くなっているのだ。

 それが、一寸ほどにも延びたカビだと気がつくまでに、かなりの時間を要した。

「カビかー。」

皆が笑い出した。

 かびは、板の間と土間の区別なく室内全体に生えていた。暗い屋内にカビくさい空気が重くよどんでいる。

 手際よく小屋の掃除をした小者が荷物を置いて城に帰った。

 あとは、重兵衛と明尊の二人だけである。

 いつの間にか降りだした雨が竹笹を叩いている。しずまりかえっている山中で雨音だけが小屋を覆っていた。

 いろりに火を熾した。小屋の中に残しておいた雑木は、虫に食われボロボロになっていたが、乾燥していて良く燃えた。  

「さあ、やりましょうか」

 二人は孟宗の竹林に立った。

 重兵衛が師の顔になった。体内のあらゆる力が膨張していった。躰から放出する気が後光のように重兵衛を包んでいった。

「見ていてくだされ」

 重兵衛が、ついと動き出した。

 すさまじい気と風が竹林を通り抜けた。重兵衛は、林立する孟宗竹の間を全速で走った。ほぼ半町(約五十メートル)もあろうかと思われる竹林を、あっというまに通り抜けた。太い竹が障壁となって、真っ直ぐ奔ることなど不可能な竹林を、一直線に奔ったようにしか映らなかった。明尊には、ただ閃光のようにしか見えなかった。

 重兵衛の奔り抜けた痕には、胴体を貫かれた太い孟宗竹が列をなしていた。

 重兵衛は、真っ直ぐには奔っていなかった。稲妻のように、瞬時に方角を変えながら孟宗竹の胴を貫いていた。

 

 重兵衛は、城へ帰って行った。

 翌日、払暁から明尊の修業が始まった。

 濃い霧が流れている。かすかに風の音がだけが耳朶をくすぐる静寂と冷気のなか、低く気迫のある気合が竹林を震わせた。

 明尊は、竹林を走りまわっていた。谷川の水で喉の渇きを癒すとき以外は、ただひたすら走っている。

 毎日、太い孟宗竹にぶつかり転倒して傷だらけになりながら、一瞬でも早く走り抜けることができるよう一心不乱に走った。 

 夜、いろり端で瞑目する明尊の脳裏を稲妻が奔っていた。どうしても師のようにはいかないのである。

「眼で視認して障害を避けるのではありません、研ぎ澄ました五感全体で障害を感知して避けるのです」

 別れ際に残した師の言葉をなんども反芻(はんすう)した。

 

 秘剣を体得した明尊が城に帰ってきたのは半月後であった。

 重兵衛が『秘剣・稲妻』と名づけた。

 

 

斬撃

 福冨明尊は十五歳となっていた。重兵衛とのきびしい訓練はつづいている。

 無心に木刀を振っていた。素振りをしていれば無心になれた。もはや、回数を数えることもなく、ただ、ひたすら体を動かしつづけた。体から力が失せ、へとへとに疲れても、気力のある限り振りつづけた。それが、二刻に及ぶこともあった。日増しに、体に力と持続力が付く手応えを感じていた。

 明尊が、ひとりで孟宗竹を前にしていた。これまで暇を見つけては孟宗竹と対峙し、数え切れないほどの竹を切り倒した。しかし、いまだ一撃で倒したことがない。

 ジッと佇み、気が満ちるのを待った。

「……・・」

 気合とともに明尊の大刀が閃いた。

 ガキッと音がした。手にしびれが走った。

 大刀は、孟宗竹にわずかばかり食い込んだだけだった。

「まだ、まだ」

 師・山田重兵衛の声が聞こえるようであった。

 

 うららかな気持ちのいい春びよりだ。満開の花を咲かせ、その存在感を誇示していた山桜も花が散り、周辺の緑に同化しておとなしくなっている。

 明尊と重兵衛は、春の陽射しを背に受けながら、のんびりと馬を歩ませている。

 四ッ地蔵城の濠となっている太田川に沿って西へ上り、丘と見間違うほどの低い峠を通り抜けた。 

 そこはもうである。四ッ地蔵城から一里(四キロメートル)ほどしかない。

 川のすぐ横に八神屋(やかみや)の土蔵が立ち並んでいた。

 土蔵の横を抜けると、幅十間(三十六メートル)の運河が左手に延び、一町(百メートル)先の江川に通じている。八神屋の運河だ。

 運河の両岸は、荷揚げ場を挟んで十棟の倉が軒を連ねている。

 船が着いたばかりのようだ。人夫が船に渡した板の上をせわしなく動いている。玉鋼や銅を扱っている八神屋の荷物は重いのだろう、担い棒を使ってふたりがかりで、一つのかますを運んでいる。

 人夫が通るたびに、渡し板がゆっさゆっさとたわむ。人夫は、渡し板のたわみを巧みに利用して上り下りをしていた。

 運河から八神屋(やかみや)の屋敷へは、まっすぐな道が、わずかに坂を上りながら続いている。

 正面の山際に、一間ほどの高石垣と白い土塀が横に広がり、その中央やや左手の石段を上ったところの、どっしりとした門が入口である。

 五百坪を超える壮大な屋敷だ。

 士農工商という階級制度が成ったのは江戸時代のことであり、この当時には、武家、農家、商家の明確な区別はなかった。

 商家といえども、武力を持ち、必要があればこれを行使する郷士である。

 当然のことながら、八神屋も武力を保有し、屋敷もそれなりの防禦性を備えていた。

普段は下帯ひとつで荷役作業をしている人足らも、いざというときには武器を取る戦闘要員なのだ。

 屋敷に通じる道の両側に整然とならぶ使用人の家で、幼い子らが遊んでいた。

 屋敷へ出入りする他人も多いのだろう、明尊らに関心を寄せる者もいない。

 屋敷前の観音堂から走り出た女の子が、馬止に手綱を繋いでいる二人のところに寄ってきて明尊の手をとった。小さな柔らかい手だ。

「おー、夕か」

 重兵衛が夕の頭を大きな手のひらで抱えこんだ。

 あいかわらずおとなしく言葉少ない娘だ。活発に走りまわっているようだ。

 赤い鼻緒の草履を履いた小さな足は、泥まみれになっている。

「夕、友達はできたか」

 夕が、こっくりとうなずいた。くりくりっとした瞳が輝き、満身の笑みをたたえている。 

 なんといっても顔色がよくなっている。

 ふたりは手をつないで玄関に近づいた。

「これは、これはご当主さま」

 奥から、與次郎兵衛が飛び出してきた。にこにこと親しい笑みを浮かべ、さあさあ、おあがりください、と明尊の腕をとった。

 與次郎兵衛に明尊をとられた夕が、門の外へ小走りに出ていった。足取りが軽い。夕の後姿がはつらつとしている。

「あまりにも、いい日和で、つい、足がこっちを向いてしまいました」

「それはそれは、ありがたいことで。さあさあお上がり下さい。山田さまもご遠慮なくどう。」

「夕も大きくなったものだ」

「いい娘です。それに、母親のさちですが、びっくりするほど機転の利く働き者で、最近では、店の手伝いをさせています」

「店ですか」

「そうなんです。読み書きができ、座敷での作法を身につけている。こういっては失礼でしょうが、私どももびっくりしております。きっと、どこかのお武家でしつけられたのでしよう」

「そうですか、それは良かった」

 話しながら、與次郎兵衛が二人を座敷へ案内した。

 開け放された座敷からは、キラキラと陽光に反射する江川が見えている。

「大河を眼下に見る生活もいいものですの」

 明尊が立ちあがって縁側にでた。江川がゆったりと流れている。

 ふと、花の香りが濃く漂ってきた。金木犀の花かと思って、辺りを見まわしたが、目についたのは、塀際に立つみかんの花だった。小さな白い花が満開だった。

 

 

 西を山で塞がれている山里の日暮れは早い。日は、山に没し、気温が急速に下がってきた。

「今夜は、泊まってください」

 しきりに引きとめる與次郎兵衛を振り切って、門前へでた明尊のところに、走りよってきた夕が明尊の手をとった。

「お、待っていたのか」

 ふところから茶菓子をだして夕に握らせた。

「夕、乗せてやろう」

 重兵衛が、ひょいと抱えあげ、馬上の明尊に渡した。

「どうだ、高いだろう」

「高い」

 夕が、はじめて口をきいた。

「怖くないか」

 ううんと横に振った夕の頭が、明尊の顎に触れた。

「大きくなったの」

 明尊が、自分の顎で夕の頭をなでまわした。

「痛い」

 夕が、笑いながら首をすぼめた。

 夕を乗せた明尊が馬をゆっくりと歩ませる。子供らがゾロゾロと後をついてくる。

 明尊は、土蔵の端で夕を下して帰路についた。

 夕が、いつまでも明尊らを見送っている。

「さーならー」

 子供らが、声をそろえた。馬上の明尊が、後向きのまま、右手をあげて応えた。

 

 挨拶程度のつもりで立ち寄ったが、ご馳走攻めに逢い、遅くなってしまった。

 もう日が暮れてきた。

「それにしても…與次郎兵衛どのは…・おもいきったことをされる」

 夕を我が娘として育てるという與次郎兵衛の言葉を思い出したのだろう、重兵衛がしきりに頷いている。

 すでに、母子とも母屋に住わせているという。使用人を母屋に住わせるということなど、かっては無かったことだ。

「與次郎兵衛どのの、話は、面白いですの」

 重兵衛は、かなりの酒を飲み機嫌がいい。

 八神屋の商は、博多を基盤としている。

 日本各地から商人の集まる博多には、明尊にとっても貴重な情報が飛び交っている。

「天文十年に実父を追い出して家督を継いだ甲斐の武田信玄が、天文十六年には隣接する信濃まで侵攻しております。今(天文十七年・一五四八)では、越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄が互角の勢いでしのぎを削っているというもっぱらの噂です。一方、東海では、北条氏康今川義元が同盟を結んだらしい。織田信長は、弟を殺し、武田信玄は父を追放したということです。今、まさに世のなかは骨肉の争いをしているようです」

 與次郎兵衛の話は尽きることがなかった。

 小笠原氏と佐波氏が銅ガ丸鉱山と竹地区を取り合って、幾度となく合戦している。同じようなことが、甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信の間で行われている、川中島合戦だ。川中島では、数万に及ぶ軍勢が激突しているという。

―いちど見てみたい。

 明尊も旅に出たい衝動を持て余している。主持ちの身では、その思いも詮無いことである。

 

 すばらしい満月がでている。

 風ひとつない静寂に包まれた山里は、寝るのがもったいないほどの明るさに包まれていた。

 遠く山裾に点在する農家がくっきりと見える。

 乾ききった道は白く浮かび上がり、歩行に灯りを必要としない。

 愛馬は、黙々と歩き、城へ向っている。

 

 山道を抜けて里に入ったとき、皮膚に鳥肌の立つような緊張が走った。

 大気を揺るがす『気』が膨張し、明尊の体に容赦なく飛びこんでくる。

 愛馬の歩行に乱れはない。馬は、己に向かって来る殺気を察知する能力を持っている。

 それは、人間よりはるかに勝れている。その馬が平然としている。ということは、二人を襲ってくる殺意ではない。

―なんだろう。

 さきほどから考えていた。

 明尊が、師をみた。

「うむ」

 重兵衛も、二人を包みこむ『気』が、なになのかを掴もうとしている。

「あそこだ」

 重兵衛が馬から下りて手綱を道端の木にくくりながら、一町ほど先の家を見つめた。

  

 田んぼの奥に連なる山すそを背に建つ一軒屋だ。

 鬱蒼とした樹木の陰から藁葺の屋根がわずかに見えている。

 土居と杉の大木に囲まれたその家は郷士・坂本長左衛門の屋敷だ。

 重兵衛と明尊が走り出した。

 道の両側に広がる田んぼでしきりに鳴いていたかえるの声がピタリと止んだ。

 わずかに、風の音が遠くで松の葉をならす静謐さを見せていた。

「まずい、これでは、敵に察知されてしまう」

 重兵衛が気配を消した。明尊も気配を消して師を見た。重兵衛がうなずいた。

 かえるの合唱がはじまった。

「行くぞ」

 重兵衛と明尊が、風になって走った。

 ふたりは家の裏にまわり、屋内のようすを窺った。

 屋敷は、わずかの灯がもれているだけで静まりかえっていた。

 抜き身の刀を持った男が立っている。

 十人は居るようだ。

 野盗だ。

 長左衛門の郎従が倒れ、座敷に流れ出た血が除々に広がっている。

 当主長左衛門の姿が見えない。

 すでに闘争の決着は、ついているようだ。

 家族を一ヵ所に集めて刀をつきつけている。金品を要求しているらしい。

 老婆が若い嫁と五、六歳の男子を背に隠すようにかばっていた。白刃を突きつけられながらも、毅然とした態度で正座している。すでに己の命を捨て家族を護ろうとする気迫がでていた。

 重兵衛の目配せにより、雨戸を蹴破って明尊が飛びこんだ。

「ご助成仕る」

 明尊の大音声に、野盗がいっせいに振り向いて驚いた。

「なんだ子供ではないか」

 明尊が、大刀石州兼貞を抜いた。明尊の体格ができあがったのを機に、師山田重兵衛が手にいれてきたものである。銘を石州兼貞という。江川流域から採れる良質の砂鉄を鍛えて作った剛刀だ。石見地方は良鋼の産地であり、特に出羽周辺から多く産出したことから、出羽を中心とした刀工により鍛えられた石州刀の名声は天下にあまねく知られていた。

 明尊は、石州兼貞を右手に、入り身となって構えた。重兵衛は、明尊の後方で刀の柄に手をかけるでもなく平然としている。

 野盗のひとりが、軽くあしらうつもりで明尊に相対した。

「斬り捨てよ」

 師の声が響いた。

 明尊の体から放射する殺気が対手を金縛りにした。

 ふと気づくと、重兵衛が老婆を背にして野盗の前に立っていた。気配を消して移動した重兵衛に、野盗は、「あれ、なんでここに居るのだ。」という顔をしている。

「待て、こやつはできるぞ、儂にまかせろ」

 人質を重兵衛にとり返された黒ひげの男が、横から明尊の前にまわって八双の構えをとった。

 かなりの遣い手だ。大刀に血のりが巻いている。長左衛門の郎従を斬ったのはこの男だ。

 殺気が明尊を襲ってきた。

 明尊が己の気で刎ね返す。すでに無念無想の境地に没入していた。

 緊迫した刻がながれていった。

 明尊の気が膨張し、ぐんぐんと力がみなぎっていく、峻厳な面貌になってきた。

 闇を引き裂く気合とともに、黒ひげの刃が袈裟がけに振り下ろされた。

 すさまじくぶつかり合う気と気が空気を裂き、白刃が舞った。

 相対するふたりから放射する気が消えたとき、黒ひげの男が腹から飛び出した腸を、両手で抱え込むようにして座り込んでいた。

「なんだこれは」

 ズルズルとはみ出てくる腸をみつめている。神経が麻痺して痛みは感じていないらしい。

 敵の斬撃を皮一枚の間合いで躱した明尊が、するどく踏み込みざま横に払った大刀で、腹を裂いたのだ。

 明尊の二撃目が閃いた。呵責なき一撃だった。黒ひげ男の首から鮮血が四方に噴出した。

 呆然としてみまもる野盗の前で、体内からあふれる血に押しだされるように、首がボテッとにぶい音をたてて畳の上に転がった、一刀斎流払捨刀の剣技だ。

 残りの野盗は、派手な悲鳴を残して逃げ去った。

「長左衛門どのは無事か」

 重兵衛が、もう大丈夫だという優しさで、五、六歳と思われる男の子の頭をさすりながら老婆を見た。男児は、目の前で起きたことが理解できないのであろう、きょとんと立ち尽くしている。

「村の寄り合いで留守でございます」

「留守か…・留守を狙ったのか」

「この者、清一郎が、命をかけて立ちはだかってくれました」

「きのどくをした、儂らがもう少し早く通りかかればよかった…それにしても、さすがは長左衛門どのの御母上、りっぱな態度でござった」

「お恥ずかしいことでございます。お礼が遅れました、危ういところをお助けくださって、ありがとうございます」

「いやいや、戦場では、儂らも長左衛門どのにずいぶんと助けていただいている」

 急を知って集まって来た村人が。座敷の惨劇を目にして言葉を失った。

「おー、殿でござったか、危ないところを助けていただいて…」

 そのとき、長左衛門が息せき切って帰宅した。

「なんの、たまたま通りかかっただけ…・もう少し儂らが早ければ、御家臣もこんなことにはならなかったろうに…残念です」

 数人の村人が縁側から座敷にあがり、清一郎の亡骸を隣の部屋に移し、野盗の死骸を庭に下ろした。血の流れた畳をはがして庭にだしている。

すべて老婆の指図によるものだ。

 

 長左衛門の屋敷を後にした明尊は、体の緊張を持てあましていた。

 はじめて人を斬ったのだ。師は、儂に人を斬るという経験をさせたかったのだ。と思った。

 たしかに度胸がついた、という確かな感触が残った。

 野盗の体から押し出される腸をみても、長いものだ、と思ったが、特に動揺することもなかった。

―今なら、孟宗竹も斬れる。

 道端の竹林に入って孟宗竹と対峙した。さきほどの決闘を思いえがき、気を集中させた。

「エイ」

 裂ぱくの気合とともに大刀を振り下ろした。

 ガキッと音をたて、竹は大刀を刎ね返していた。

 師重兵衛の哄笑が竹林にこだました。

 瞬間、師の大刀がうなりをあげて閃いた。

 立ったままの孟宗竹が、地から三尺ほどのところで真横に斬られて、ストンと落ちた。

 

 天文十八年(一五四九)、十一月、尼子勢が銀山奪回のため石見へ出兵してきた。小笠原軍は、平田彦兵衛が大田の造山で迎え討って撃退した。彦兵衛は、塀足という谷間で敵を迎撃、数次にわたって戦ったのち撃退した。彦兵衛も傷を被り、大島八郎左衛門は僕従二人も矢傷を受けるという激戦だった。

 

 天文十九年(一五五〇)二月、毛利元就の次男元春は、吉川家の家督を相続し、新庄に入城した。

 

 同年九月、元春に家督を譲り隠棲していた吉川家の元当主・興経が元就によって殺された。興経の妹は小笠原長雄の妻である。妻おもいの長雄にとっても衝撃が大きい。

「元就は、己に敵対する者は、血でもって粛清した。弟でさえも殺した」

 元就に対する不信感を持つことになった。

 妻の嘆きを目にして、長雄は毛利との決別を決意した。

 

三高城

 天文十二年(一五四三)七月三日(新暦八月三日)こんどは、尼子晴久が石見に出兵してきた。石見の豪族は、つぎつぎと頭を垂れている。

 晴久は、「大内勢を敗った今、勝ちに乗じて石見、備後を切り隋えたのち、再び芸州へ討ち入って一年前の鬱憤を散し、大敗の恥をすすぐ」との決心を伝えた。

 七月五日(新暦八月五日)、温湯城大広間、江川から吹き上がるさわ風が、端坐する重臣らの汗を乾かしている。ガンガンと耳に響く蝉しぐれに混じって、ときたまさえずる鳥の声が、居並ぶ諸士の心をわずかに慰めている。

 広間では御屋形小笠原長雄を前にして緊急の重役会議が続いている。

 御屋形は病臥中の父長徳に代わって小笠原軍団を統率しており、二十歳を過ぎたばかりの青年武将ながら気性激しく、すでに剛将の片鱗をうかがわせていた。

「一昨年は、尼子とともに毛利を攻めた。去年は、大内に追従して尼子を攻めた。今回は、また尼子についていかねばなるまい」

「それにしても、いつも他人に隋従では情けない、武士らしく毅然とした態度を貫きたい、真の独立をめざすべきです」

「それがしも同意見にございます。小笠原領内には銀山があり、銅山もあり、それに刀剣の材料となる良質の鉄も豊富です。これらを最大限に活用して軍備を増強すべきであると考えます。自分の力を養っていかないと、やがては尼子や大内に支配されてしまいます」

「忠誠、義理にこだわれば、河津民部左衛門のようにひとたまりもなく滅びます。これが我らの宿命です」

 河津民部左衛門久家は、大内に従って尼子を攻めた出雲国人衆のひとりである。大内勢敗退のとき宍道遠江守や多賀美作守らは山口に逃れたが河津久家は、あえて出雲に残り、尼子に攻められて討死した。

「河津民部左衛門の戦死の様は、武士らしくいさぎよいと称賛をあびているようですが…家を潰してしまってはなんにもならん」

「そう、武士の意気地を立てたところで死すれば犬死だ」

 議論は尽きそうにない。

「我らは、そのときどきの連合を組んで戦ってきた。武家がいっそう強い勢力と連合を組むのは、武家のならいである、裏切ではない」

「合戦は、お家興隆のよい機会だ」

「籠城してどちらにも附かない中立という立場はどうだ」

「この城・温湯城に籠城すればちょっとやそっとのことでは落とすことはできないでしょう。でも、後詰めがあるということが前提となりましょう。今、大内、毛利は、月山富田城攻めの失敗により離反する者が多く、自国内での戦いで手いっぱいでございます。我らが籠城しても後詰めは期待できません。救援の無い籠城は自滅を招くだけです」

重役らの発言は続いている。

 御屋形(長雄)は腕組みしたまま目を瞑っている。ひとことも発言しない。長雄の脳裏には、毛利元就とともに過ごした二月前の一夜がわすれることができない。

―あのとき、元就父子は、儂らを信じてくれた。二人の生命を儂らに預け、頼ってくれた。短い日数であったが、元就の強さ優しさを知り、これからは元就とともに歩むと誓ったではないか。

 老臣らの意見はとうとうと続いている。

「尼子氏とともに行動する」

 突然、長雄が短く言いきると、捨て切れない元就父子との交誼を振り払うかのようにサッサと座敷をでていった。『小笠原には、いままでどおり銀山支配を安堵する』という尼子晴久からの書状を手にしていた。この時代、銀山を支配するということは、銀山経営を請負うということである。尼子晴久に一定量を貢献すれば、あとは、すべて自由になった。それだけ、銀山支配には魅力があったのである。

 ちなみに、大内、毛利と尼子の間で熾烈な銀山争奪を繰り返したなかにあって、小笠原氏は、通算で二十年もの間、銀山を支配していたことになる。

 七月十四日(新暦八月十四日)、二万の尼子勢は、久利清六兵衛、左馬助父子を攻め、郷中一軒も残らず焼き払った。大内からの援軍も望めず、わずか三百人では、とうてい守り抜くことはできないと久利は防州へ逃げた。

 久利城を潰した尼子勢は、つづいて佐波隆連の三高城を攻めるため江川を隔てて頓営した。

 佐波氏は、本城青杉城を中心として、その西に丸屋城、南に皷ガ崎城を構えていた。三城の間は数町しかなく、互いが緊密な連携をとって戦うため、うかつに攻め入ることのできない要害であった。この三城は南北朝動乱のころから三高城と呼ばれていた。

翌日、江川特有の朝霧のなか、かすかに見える対岸に佐波の勢三百余りがでてきた。

「ここから渡って来い。治承の乱において足利忠綱と佐々木高綱が、宇治川を渡って功を得ている。それのみか三郎盛綱は海を渡ったという、川を渡るということは例あるといえども、馬にて海を渡ること未曾有の功であると賞せられたという。今、ここを渡らねば晴久殿の勇は落ち、先祖に顔向けもできないであろう、海を渡れといっているのではない、せめてこの河を渡ってきたらどうか」

 対岸から兆発している。

「憎い敵のいいぐさだ、ここを渡らねば、まことにもって先祖の功をも潰してしまう。行くぞ、ものども続け」 

 尼子左衛門大夫が馬腹をけった。

「なんということをなさるのか、ここは浅瀬ではありませぬぞ、敵は我々をだまして深みに入らそうとしているのです。浅瀬は、ここよりはるかに下流ですぞ」

 小笠原長雄と本城常光が走り寄って制止する。

「なにを言うか、これぐらいの川、渡れなくてなんとする。」

 左衛門大夫が制止を振り切って川に踏み込もうとする。

「浅瀬もわからぬ大河を渡り、溺死でもしたら末代までも恥辱を残してしまう。舟を集め夜を待って渡る、しばらく待て」

 晴久の命により左衛門大夫は、力なく陣へ入った。

 その後、一ヵ月ほど攻めたが城を落とすことが出来ない、

「いたずらに当城にのみ日数を費やすのは愚なことだ。石州のうち益田、吉見、福屋、佐波以外の国人衆は、尼子に靡き従った、ひとまずはこれでよい」

 ついに、晴久は、三高城攻略をあきらめて石見銀山に矛先を変え、これを押領した。

 これを区切りとして晴久は出雲へ引き揚げた。

 晴久は、銀山を小笠原長雄に与えず、直轄地として代官を置いた。長雄としては、当然、自分に与えられるものを直轄としてしまったことに納得がいかない。

「今まで、大内どのにしろ、尼子どのにしても銀山支配は我が小笠原に任せていたではないか、小笠原の銀山支配力をないがしろにしおって」

こめかみに青筋をたてて怒りを露わにした。

 天文十二年(一五四三)この年、種子島に鉄砲が伝来した。

 天文十三年(一五四四)二月中旬、尼子民部太夫改め修理太夫晴久は、三万騎を引率して伯州攻略にかかった。

 伯州へ入ったばかりの八橋城で逗留して初夏になるのを待った。この間に、大崎城の守将は尼子勢の威風に怖れをなして逃げ去った。

 尼子勢は海岸を東進し、鹿野城を一気に陥落させた。

「この勢いで、鳥取城下に放火して、鳥取城もしくは私市城のいずれかを落とせば、因幡の者どもは尻尾を巻いて退散するであろう」

 意気衝天の勢いで軍評定を行なっていたところに、尼子晴久の母公が重態に陥ったとの知らせが届いた。

 五月上旬、尼子勢は因幡を引き払った。

 

 同年(一五四四)十一月、毛利元就の三男隆景が小早川家を相続した。

 

 天文十六年(一五四七)八月二十一日(新暦十月四日)、小笠原長徳が死去した。治世わずか六年の短い在位であった。

 嫡男長雄が十四代を継いだ。

 天文十七年(一五四八)、三月、小笠原長雄は銀山を攻略し、弟小笠原大膳太夫長秀をはじめとして大島和泉守、平田加賀守、寺本土佐守、福原山城守、横道帯刀、青木、市川、小田、樋口ら三五〇人を連れて銀山の視察をした。