福冨七郎左衛門尉疾風録

石見国浅利村・四ッ地蔵城主福冨氏5代録

平安城

 永正四年(一五〇七)、足利義澄を奉じて将軍足利義稙を放逐した管領細川政元は、実権を握って大いにその権勢をしめしたが、自分の後継ぎに関白九条政基の子澄之、阿波讃岐細川義春の子澄元、そして細川支流細川政春の子高国の三人を立てた。三人が力を合わせて磐石な細川家を後世に残そうと考えてのことであったが、これは当然のごとく細川一族で内訌を招くことになった。

 細川政元は、その有力家臣薬師寺、香西らに殺され、細川澄之が足利義澄の執事となった。

 これに対して阿波細川の三好之長が、細川澄元を擁して細川澄之を殺し、実権を握った。

「京都が紛乱している今こそ、征伐どきぞ」

 将軍の座を追われ大内氏を頼っていた足利義稙の下知を受けて大内義興が山陰、四国、九州の諸将に至急の書状を送った、好機到来である。

 同年十一月二十六日(新暦十二月二十九日)、足利義稙が防州を出発した。

 大内義興を筆頭に九州から島津、大友、龍造寺、高橋統種、菊池ら有力武将がこぞって集まった。

 安芸の国から探題職の武田元繁をはじめ毛利、吉川、宍戸、小早川、熊谷らが供奉に加わり、石見から、小笠原長隆、三隅興信、吉見成頼、佐波誠連、益田宗兼、高橋清光、福屋国兼、周布和兼、祖式、久利ら、出雲の尼子経久、三澤為幸、三刀屋為虎、牛尾、浅山、宍道、廣田、桜井ら、伯耆に山名清忠、南條守親、大山の教悟院、行松入道、因幡から山名豊重、但馬の山名政豊、美作の斉藤ら、播磨の別所熙治、黒田高政、伊予の河野通直、讃岐から香河元光が随従し、

 総勢十五万余騎が八千五百余艘の船に分乗して威風堂々と船出した。

 海上は、能島掃部助、久留島出雲守らが海上を警衛している。大内義興は、防、長、豊、築四州の守護である。にもかかわらず今回の東上には、石見、出雲、因幡伯耆、備中、伊予の武将も随従している。大内義興の勢威をみせつけた軍勢であり、衰えたりといえども将軍の威光、まさに天を突くばかりであった。

―心がおどる。

 忠智にとっては初めての上京であり、『将軍を擁しての進撃だ』ということが心をおどらせている。

 とはいえ、小笠原長隆は、小笠原宗家と仰いでいる阿波、三好之長を敵にまわして戦わなければならないという戸惑いは如何ともし難い。

 瀬戸内の海を大小の船があふれている。帆を立てたもの、櫓や櫂で漕ぐものあらゆる舟が舳先を競って東上している。

―まさに壮観だ。

 各船が将軍の眼に留まるよう、御座船近くを航行しようと陣取り合戦をしている。

 忠智は舳先や船べりに幟や旗を立てた船が、これ見よがしにせわしなく動きまわっているのを厭くことなく眺めていた。

 鶴姫を連れて多度津から瀬戸内を渡ったのが、ほんのこの前のことのように思っていたが、すでに十二年前のことになる。忠智は、阿波の小笠原長重と綾姫、そしてやえのことを思い、北の方角に合掌した。

 二日後に鞆ノ浦に着いた。ここで越年し、永正五年(一五〇八)正月三日(新暦二月三日)に出航したが、寒波の襲来に遭遇してしまった。西風に押されて狂ったように走っていた船が、荒れ狂う波にはばまれて危うくなってきた。忠智らは、慣れない船酔いに苦しめられ、立ちあがることもできない。横臥したまま嘔吐している兵から発する異臭が船内に充満して息苦しい。忠智は、せめてもの抗いから口を大きく開けて呼吸し、鼻からの進入を防ごうとした。これなら陸路を進撃するほうが早いと思うが勝手をすることはできない。

 ついに、船団は播州室ノ津に避難したまま動くことができず、いたずらに日数を費やすばかりであった。

 二月一日(新暦三月二日)になって、やっと海上が凪いできた。船団は纜(ともづな)を解いて次々と湊を出ていく。

 今度は快適に走っている。左手には本土の山並みが朝日を受けて輝き、右手には淡路の島がすぐ近くに見える。

「あれが泉州堺だ。あそこに上陸するらしいですな」

 善兵衛は、寒さに身を震わせながらも、甲板に腰を下ろして、はるか前方に霞む山並みを指差している。

「お前、震えているのか」

「武者ぶるいですよ」

 忠智の横に座っている理右衛門が、寒さで満足に動かせない顎をがくがくと震わせながら笑った。

 翌二日泉州堺に着いた。やっと上陸したと安堵したものの足が萎えている。忠智はその場で足踏みをして力を取り戻そうとした。

堺は海上から畿内への玄関口である。九州、中国、四国を結ぶ交通の要衝となっていた。 

 京都では執事細川澄元が上意をもって諸国の軍士を召集していた。これに応じて、斯波義兼、畠山義豊細川勝久、細川成春、朝倉貞景、赤松義村富樫政親、一色義春、伊勢貞熈ら十三万余騎が京都に馳けつけて三条の御所を警護した。

 足利義澄は、堺に上陸した大内ら西国勢が京に攻め上るまでに蹴落としてしまえと八万余騎の軍勢を摂州中島に進め、陣を取って待ち構えていた。ところが、寄せてくる大軍勢に肝をつぶしほとんど戦うこともせず敗走した。

三好之長は大内勢の鋭鋒を受けて敗死した。

細川澄元は四国へ落ち延びて斯波、赤松は京都へ逃げた。

 足利義澄は近江岡山城滋賀県蒲生郡)へ退いた。

 忠智らは淀川沿いの橋本で一泊し、翌日、東寺の五重の塔を目印に都へ向かった。

 六月八日(新暦七月五日)、足利義稙が入洛を果した。

 忠智にとっては、はじめての都である。

 貴族、武将の館や寺社が壮大な敷地を占領し、住民は狭くひしめき合っている。館や寺社のあまりにも荘厳な建物に忠智の心は奪われていた。

 小笠原隊も平安城(御所)の警備についた。

 七月一日(新暦七月二十八日)、足利義稙は、従三位に叙任し、権大納言征夷大将軍に復任した。

 八月一日(新暦八月二十七日)には、随伴した諸将の論功行賞を行い細川高国管領に、最大の功労者大内義興には従四位下に叙して管領代に任命した。

 さらに、九月十四日には、従四位上として管領職に任じた。その他、随伴した諸将も褒美を受けた。

 

 

参考文献

 石見家系録       大島幾太郎 島根県大田市立図書館

 陰徳太平記……・・   和歌山県立図書館、大阪府立中央図書館

 吉川家古文書……・   和歌山市立図書館

 石見吉川家古文書…   大阪府立中央図書館

 大丸山伝記……・・   川本町立図書館

 孫子………………・   浅野裕一  講談社学術文庫

 吉川元春………・・   浜野卓也  PHP文庫

 尼子経久…………・   中村整朗  PHP文庫

 立花親成(統虎)…………・   八尋舜右  PHP文庫

 長宗我部元親…・・   荒川法勝  PHP文庫

 戦国合戦事典…・・   小和田哲男 PHP文庫

 宇喜多秀家……・・   野村敏雄  PHP文庫

 小早川隆景……・・   竜門冬ニ  人物文庫

 小早川隆景のすべて   新人物往来社

 島津義弘………・・   徳永真一郎 光文社

 島津義弘の賭け・・   山本博文  中公文庫

 朝鮮の役………・・   旧参謀本部 徳間文庫

 秀吉の野望と誤算・   笠谷和比古・黒田慶一 文英堂

 川本町誌        島根県立図書館

 温泉津町誌       島根県立図書館

 二十五人の剣豪……・・ 戸部新十郎 PHP文庫

 石見の城郭       島根県大田市立図書館

 完訳フロイス日本史5  中公文庫

 日本合戦史100話    鈴木 亨  中公文庫

 出雲の鷹……………・・ 南條範夫  文春文庫

 歴史群像・戦国九州軍記 学習研究社

 歴史群像・戦国合戦大全 学習研究社

 歴史群像毛利元就   学習研究社

 別冊歴史読本毛利元就の生涯 新人物往来社

 別冊歴史読本・戦国の籠城戦  新人物往来社

 石州古図……………・・ 島根県立図書館(インターネット)

 分県地図・島根……・・ 昭文社  

 THA MAP・南河内 ワラヂヤ出版

 旧暦・新暦日付変更計算・インターネット「暦のページ」

君谷合戦

 永正三年(一五〇六)十一月二十三日(新暦十二月七日)病気療養中の小笠原長正(十代)が温湯城において死去した。直ちに嫡男長定が家督を継いだ。

 翌年、喪も明けぬなか佐波勢が小笠原領君谷湊に侵入してきた。

 小笠原長正は、南北朝以来繰り返してきた佐波氏との争いに終止符を打つべく、孫長隆に佐波秀連の娘を娶った。和平への努力も行われていたのである。

 こともあろうに、その長正の死さえも攻撃の機としてしまったのである。それだけ君谷湊は佐波氏にとっても魅力ある湊だったのだ。

 十一代当主小笠原長定としての初めての戦である。

 両軍は、いつものとおり、江川の支流を挟んで対峙した。

 小笠原方井原左京亮信成が両軍の面前に馬を進めた。

 それに応じて、佐波勢の中から一騎の武者が進み出た。

 両軍から一斉に喚声があがった。

 凄絶な一騎討ちが始まった。二合、三合と槍を合わせ、馬腹を擦るが決着がつかない、技量が互角なのだ。

 両軍の兵数千が一気一憂し喚声を挙げている。

 数度の衝突を繰り返し、ついに井原信成が敵を突き落とした。

 小笠原勢が踊りあがって喜んでいる。

 そのとき、井原信成が佐波軍に包み込まれてしまった。

「行け、左京亮を助けろ」

 小笠原勢が突撃した。

 佐波軍が逃げだした。

 しかし、先鋒一番槍をとった井原信成は討死していた。

 いつものことながら小笠原軍は追撃しない。

 目の前の敵は佐波軍なのだが、忠智らは意気が上がらない。小笠原長隆(十二代)の妻は、佐波秀連の娘である。実の親子であっても互いに命のやりとりをするのが戦国乱世の常だが、なんとしても力がでない、太刀先が鈍る。

 佐波勢が押し寄せてくる。

 小笠原勢が迎え討つ。

 両軍が対峙するなか、定法どおり矢戦を展開したあと、一騎討ち、ときには小規模な小競り合いをもって、佐波勢が退いて行く。

 小笠原勢は追撃しない。

 なんとも優雅な戦をくりかえしていた。

 

 

九州出征

 明応五年(一四九六)一月、周防、長門豊前筑前の守護大内政弘が死去した虚を突くように、九州肥前少弐政資大内氏の支配する筑前に侵入して大宰府を占拠した。大内氏は、その子義興が後を嗣いだばかりであった。

 同年十二月、父政弘の一周忌を済ませた義興は、少弐政資討伐のため筑前に出陣した。   

 翌明応六年(一四九七)一月、忠智ら石見勢も大内軍に従軍した。

 大内軍は門司、小倉、八幡と破竹の勢いで進軍、直方で待ち構える少弐軍前衛を蹴散らして飯塚にでた。ここから大内軍主力は西寄りに南進、石見勢は遊軍となって西進、博多を経て、やがて本隊と合流、基山、鳥栖を征服しながら進んで行った。

 二日後、大内軍は肥前の小城城を包囲、少弐政資、高経父子を滅亡させた。

 この戦では、御屋形(小笠原長正)が少弐少輔を討ち取って高名をあげた。

 

 

四つ地蔵城

 四つ地蔵城では忠智の留守中、重臣・佐々木善右衛門は、紫部新左衛門に逢って、都治方へ寝返った本意を聞きだしてくれていた。
 善右衛門は、平時においては、穏やかな好好爺であるが、戦場においては鬼神の働きをする。
 幾多の戦場において、先頭をきって突き進み武功を重ねてきた。その剛胆さは他の家臣の及ぶところではない。
 新左衛門の無二の友である善右衛門に、残した言葉は厳しいものだった。
「先代(治堅)さまは、部下をわが子のように慈しむ心をお持ちでした。だから合戦のとき、先代さまの下知に従い死ぬ覚悟で突撃していったのです。生まれながらにして城主を約束された殿には、おそれながら先代さまには及ばないことでござりましょう。それに、今の殿は、温湯城ばかり見ておられる、儂らのような地下人には見向きもしてくれなかった」
 新左衛門は、淀みなく言い切ったという。新左衛門の言うことにも理はあった。忠智は十五年にわたり御屋形の家士として温湯城に務めた。その間、四ッ地蔵城へは、ほとんど帰っていなかったのである。
「先代(治堅)さまも、応仁元年に今井城を攻めたとき攻略に失敗したためではありますが、従軍した士への褒賞をされませんでした。たとえ、失敗したといえども、合力した者には褒賞をするということ、古今の通義でありましよう」
「武士がより強い主人を求めるのは裏切りではありません」
 とまで言った。
 この時代(戦国時代初期)の武家社会は、各地に割拠する豪族、地侍らが、それぞれ独立した土地を持っていた。一所懸命ということばが残っているように、彼らは、自分の土地を守り、拡張することに命を賭して戦っていた。主人の命令に絶対服従といった主従関係をつくったのは、織田信長であり、豊臣秀吉徳川家康によって完成されたといわれている。この時代より、六、七十年後のことになる。
 石見の豪族も小笠原、佐波、吉川、高橋、福屋ら諸氏が、それぞれ独立して、時に応じ、そのときどきの連合を組んで戦っていた。
 彼らの意識としては、主従関係ではなく、連合、合力である。
 福冨党においても、主従関係にある家臣は少なく、忠智には郎従の佐々木善兵衛・善右衛門父子と山下理右衛門、僕従の嘉平と佐吉だけが家臣であった。そのころの武将は支配地域の地侍を束ねて軍団を編成していたのである。したがって、地侍らの独立意識も強かった。
 新左衛門の発言には、このような背景があった。
「そこまで、言ったか、儂も、恥を曝したものよの」
「ところが、本音は別にあるようです。応仁元年に京で起きた大乱のとき、出征途上で遭難した都治宗行は百名ほどの将兵を率いていたということですが、都治に帰り着いたのは兵卒が一名だけで他は全員死んだそうにございます。そのため、都治郷には断絶した家も多く、跡目を継いだ兼行は、早急に軍勢を造りあげなければならないのに、肝心の人物がいないという状況らしゅうございます。ですから、雀部らのように、戦場で鬼神の働きをする武士が欲しかったようです。雀部らは、すでに持っていた領地に加え、都治郷の中で同じ広さの土地を合わせて与えるといった破格の条件で迎えられたということにございます。ですから、雀部らの領地は倍になったということです。なにしろ、都治郷には家が途絶えて、空いた土地が多いということですから」
「なるほど、もっともらしい御託をならべたが、所詮は食い扶持の多いほうに鞍替えしたということか」
「もうひとつ、都治兼行が兵を興して、この四ッ地蔵城を攻めると言ったのは、どうも、雀部らの旗幟をはっきりさせるための計略だったらしいという噂があります。都治に付くと言いながらも煮え切らない雀部らを引き込むために兵を興したということのようです。はじめから出陣する意思はなかった。たとへ四ッ地蔵城へ攻め寄せても勝ち目はないとみていたようです」
「だが、松村どのは都治からの破格な好条件による勧誘を一切断ち切って、福冨家に残った。実に、義理堅い武人です」
「大切にしなければならない、御仁だ」
だが、六人もの家臣に陵辱された忠智は、終世拭い去ることのできない懊悩を負うこととなったのである。


 一ヵ月後、福冨党の再編を完了した忠智は、理右衛門を連れて温湯城へ報告とお礼に行った。
 御屋形から給わった所領と家臣を三割も失ったにもかかわらず、なんの叱責も受けなかった。そればかりか慰めと激励の言葉をいただいた。
 さらに、阿波から来た三人の家臣をつけてくれた。
 忠智と理右衛門は、心の底から湧きあがる安堵感をかみ締めながら下城した。

 

 娘が一人、大門の柱に寄りかかるように立っていた。背を向けている。地侍の娘らしく地味な服装で旅の身じたくをしている。
―遠方から来たのかな。
 と思ったが、別に不審なようすはない、黙って通りすぎた。
「父上」
 はっとして、振りかえった忠智が絶句した。
「なんと…・・姫さま」
 理右衛門と嘉平が、あわてて膝を地につけて叩頭した。
 驚愕する忠智と理右衛門を尻目に、
「どお、この姿、似合うでしょ」
 にこにこと破顔する鶴姫の瞳がいたずらっぽい。
「どうなさったのですか、そのいでたちは」
「浅利へ行くのです。おいしい魚を食べに」
「それはもう、いくらでも…・ですが、御屋形さまに、お許しをいただかないと…」
「それには、およびませぬ、わたしから、お許しをいただきました」
 もう、軽やかに飛びはねながら歩き出している。
「父上とお呼びになるのは、ご容赦ください。御屋形さまに叱られます」
「伯父さまは、ご存知ですよ。『七郎左衛門には感謝している』とおっしゃいました。それに、『いつでも、行くがいい』と」
 鶴姫が、言葉の最後の『と』を、ことさら強調した。
「それなら、お乗り物を」
「だめ、のんびりと歩いて旅をする楽しみを教えたのは、父上でしょ。それに、輿は窮屈で身体の節々がいたくなる」
 腰の後ろで両手を組み、胸を張って忠智を見つめている、瞳がきらきらと輝いていた。十三歳とはいえ、まだ、少女の面影を残した小娘だ。
「参りました。それでは、短い旅ですが、楽しく行きましょうか。そうですの、まず、甘南備寺へ行って、姫さまご両親さまの供養と石見・小笠原家先祖さまへの挨拶をして、今宵は、甘南備寺に泊めていただきましょう」
忠智が、馬を轡取りの嘉平に渡して浅利へ先行させた。
「お寺に泊まるのですか」
 鶴姫が、眼を輝かせている。
「阿波からの帰りには、泊まったですな」
「どことなく心が満ちてくる、それが、お寺ですよね。朝、暗いうちから勤行にたたき起こされるのがなければ、なお、いいところです」
 鶴姫が、肩をすぼめた。
「甘南備寺は戒律の厳格な寺で女人禁制でございます。泊めていただくのは、寺の麓にあるそれがしの弟の家になります」
「弟さまですか」
「はい、それがしの弟が海商を営んでおりますので、江川の主要な湊には店や屋敷を持っております。今宵は、そこに泊まり、明日には船で下りましょう」
「うれしい。早く船に乗りたい」
「ひとまず浅利へ、お連れして…・そうですの、温泉津(ゆのつ)温泉へ行きましょう。それには、妻のしのも一緒に行かせていただきます」
「ゆのつ温泉ですか」
「温泉の湧く湊の意味で温泉津と書きます。今から一千年も前に、たぬきが入浴していることから発見したということです」
「狸ですか」
「そう、たぬきです。怪我をした狸が湯治していたということです」
「面白そうですね、ぜひ行ってみたい」
「そうそう、うまく風が合えば船で温泉津まで送ってもらいましょう」
「船」
「瀬戸内を渡ったときのような、あんな小さな船ではありません、あの数倍も大きい船です。明国や朝鮮までも行っている船です」
「楽しみ。父上、はやく行きましょう」
「じゃー、それがしが先行して、お寺にお願いしておきましょう」
 理右衛門と嘉平が、気を利かしたつもりであろう、逃げるように、二人を残して行った。
 紺碧の空にそびえたつ柿の木は、すっかり落葉し、あかく熟した実が大門の横で鈴なりになっていた。

温湯城(ぬくゆじょう)

 目前の城山には秋の色あいがでていた。白壁の塀が幾重にも重なって横に広がり、所狭しと甍をかさねる建物が、頂上部へと続いている、いつ見ても美しい城だ。

「あそこが本丸です、その右下にあるのが二の丸で、城の大手門にあたる南大門は…ほら、あの木の陰に、わずかばかりの屋根が見える建物です」

 忠智が、要塞と化した山全体に広がる建物を説明していった。

「三代・長胤さま築城の名城にございます。築城以来、百有余年隆盛を誇っている要害です」

「なんと、壮大な、お城。母さまは、あそこで大きくなられたのですね」

 鶴姫が、感嘆の声をあげた。

 深い切れ込みの谷間を塞ぐように、聳立する城山を感慨をこめて眺めた。

 南大門に着いた。

 温湯城大門まで出迎えに出ていた家士の案内で、鶴姫と忠智は本丸大広間に、佐々部らは三の丸に通された。

「お鶴、こちらへおいで」

 上段の間で、御屋形の横に座っていた御屋形の母・お登瀬の方が、廊下まで出て鶴姫の手をとり、御屋形(長正)との間に座らせた。

「鶴にございます」

 やや緊張の面持ちで、丁寧に両手をついて挨拶する鶴姫を見まもりながら、うんうんとうなずいている御屋形の眼に涙が溢れてきた。

「お鶴、よう来た。おばばも喜んでいる。これからのことは、なにも心配するでないぞ」

 声がかすれ、大粒の涙が流れ落ちた。

 慈愛に満ちた御屋形の言葉を、鶴姫が神妙な態度で聞いている。

「七郎左衛門、ご苦労であった。……綾は、だめだった」

「申し訳ございません、『長重さまを一人にすることはできぬ』と……・今、すこし時間がございましたなら…・・なにぶんにも、三好さまの軍勢が早かったものですから…・・」

 忠智が、床に額を摩り付けて泣いた。

「さすがは、わが妹だ。最後まで夫を見放さなかったか。……それにしても、この母に最後の孝行をしてくれたの、お鶴を届けおった」

 御屋形の声がかすれた。お登瀬の方は、鶴姫をしっかりと抱きしめている。

「お鶴、そなたに逢いたいという客があるでの待たせているよ」

―御屋形は、ふしぎなことを言われる。

 怪訝そうな顔をしている鶴姫と忠智を無視するように御屋形が合図をした。

 家士に案内されてきた三人の侍が、廊下に平伏した。

「な、なんと蘆田どの、前山どの、盾川どの、ご無事でしたか」

 忠智が廊下に走り出て、三人の手をとった。

「姫さま、福冨さまもご無事で、うれしゅうございます」

 年長の蘆田三郎裄綱が、嬉し涙で顔をくしゃくしゃにしながら経過を報告した。

「それがしら三人で、三十人ほどの敵を迎え討ちました。といっても、敵を姫から離すため反対方向へ誘いだすことを目的として突入したのでございます。うまく敵がそれがしらを追ってきました。もはや姫さまも脱出できたであろうことを確信したところで、それがしらも、いちもくさんに逃げましてござります。なにしろ敵は甲冑を着けておりますので、面と向かっての戦いは不利でしたので」

「それこそ、いい判断だ。なにも、無駄死にすることはない。三人とも、死に躊躇することなどいささかもない剛直な武士であること、それがしが見とどけている」

 城を脱出した夜、敵に発見されて絶体絶命に陥ったとき、蘆田ら三人がおのれの身を盾として迎撃してくれた。そのお蔭で逃げのびることができた。忠智は三人に感謝するとともに、申し訳ないという呵責に耐えられない思いでいた。三人が生きていてくれたということが、心底うれしかった。

「蘆田、前山、盾川、生きていてくれてうれしい」

 ひとりひとりの名を呼んで礼をいう鶴姫も、感激のあまり言葉が続かない。

「それにしても、よう、逃げることができたの」

「それはもう、敵は重い甲冑を着けておりますが、それがしらは軽装、闘うには不利ですが、逃げるのは楽、もう、思いのままに引っ張りまわして、最後には、はいさらばでございました」

「なるほど、まったくもってそうだ。それにしても長重どのも良い家臣を持たれたものだ」

 御屋形が眼を細めてうなずいた。

「敵を、撒いたところで城から火の上がるのを見ました…主の消息を確かめるため城下に潜入し、長重さまとお方さま二人だけが、わが身を犠牲にして家中の者の命を救ってくださったということを聞きましてございます。そこまで確認いたしましたので、姫に追いつこうと急ぎましてございます。その結果、どこかで追い越してしまったものか先に着いてしまいました」

「そなたらは、今治から船出したのであろうの、姫とそれがしは、多度津から舟に乗ったので遅くなったと思う」

「ああ、そうでございましたか、多度津経由とは思いもつきませなんだ」

「あの…、やえは、いかがしましたでございましょうか」

「はっ」と鶴姫が絶句した。

「前山とやえは、兄弟…」

「はい、それがしの姉でございます」

「申し訳ござらぬ、六人の野武士に襲われ、やえを護ることができなかった…・」

 忠智は伊予の山中でのことを詳しく説明した。やえの遺髪を取り出し両手をついて頭を深く垂れた。

「やえは、わたしの盾となってくれました」

「そうでございましたか…・・」

 姫が、悄然と肩を落とす前山源三の手をとって幾度も侘びた。

「それは、気のどくなことをした。…・ところで、これからどうするつもりか」

しばし瞑目のあと、御屋形が三人に問うた。

「長重どのに最後まで随いたということは、阿波へ帰っても、そなたらは所領を失っているであろうの」

「でありましょうが、姫が、ご無事で到着なされたうえは、われらの役目も終わりましてござります。明日にも、阿波へ立ち帰りたいと存じます」

「心配するでない、儂に仕える気はないか」

「それは、身にあまる光栄に存じます」

「三人とも、阿波と同じだけの所領は与えよう。七郎左衛門、そなたの配下とするがいい。」

「なんと、ありがたき幸せにございます」

「三人とも、七郎左衛門を助けてやってくれ、そなたらは、阿波に身内も残っていることであろうから、一度、阿波に帰って皆を連れてくるもよし、このまま石見に残るもよし」

 御屋形の差し伸べた慈愛に一同が感泣した。

 三人とも、ひとまず阿波へ帰り、家族郎党を連れてくることとなった。前山源三は、姉・やえの墓参りに行く許しを得た。

「帰ってくるまでには、所領も決めておくでの、安心して帰ってくるがよい」

「身にあまる光栄にございます」

「長重どのと綾も、よろこんでくれるであろうよ」

「ありがたき、ご配慮恐悦にございます」

 三人が、感泣にむせびながら退室した。

 

「七郎左衛門、今宵は泊まってくれ、綾のことなどを聞きたい」

「承知いたしました」

 忠智も、それ以上は何も言えなかった。

 その夜、御屋形とお登瀬の方の夕餉に忠智も同席した。鶴姫への挨拶のため、親戚衆と重臣らが顔をそろえ、にぎやかな晩餐となった。

 お登瀬の方の横に、鶴姫が座っている。

「孫とは、かわいいものよの」

 鶴姫に、なにかと世話をするお登瀬の方は幸せそうである。

「母上、あまりしつこくすると、お鶴に嫌われますぞ」

 そう言う御屋形も満面の笑みを浮かべている。

 突然、忠智の視界がおのれの涙で閉ざされた。声を漏らさないよう必死に歯をくいしばって下を向いていた。鶴姫を無事に御屋形のもとに連れ帰ることができた安堵感と、鶴姫を優しく迎えてくれた御屋形と御方への感謝が、忠智の平常心を失わせていた。

「お、鬼の七郎左衛門が泣いているぞ」

 親戚衆の長老が立ち上がって忠智の前に胡坐をかいた。

「七郎左衛門、自分の城が危ういときに、よくも、自分を犠牲にして、御屋形さまのために働いてくれた。ここに居る皆が感謝しているぞ、よくやってくれた。親父どのの四十九日法要も済んでいない貴殿に殺生をさせてしもうた、儂らはいくら謝っても謝りきれるものではない」

長老は涙にくしゃくしゃになりながら忠智の肩に手を当てた。

「それにしても、鶴姫さまは綾さまにそっくりだ。まるで、生き写しだ」

「綾は心根の優しい娘だった。この度も、夫に殉じると決めたとき、この母の気持ちを思って、お鶴を届けおった。お鶴を大切に思うぞ」

 お登瀬の方は、涙ながらに鶴姫を抱き寄せている。

「七郎左衛門、お鶴のことは心配するでないぞ、儂の大切な身内だ」

 御屋形の声が、長老の後ろから聞こえてきた。

阿波の小笠原長重と綾姫の顔が瞼に浮かび、忠智は不覚にも畳に両手をついて嗚咽した。

 

 翌日朝、忠智は、浅利へ向かった。

 御屋形とお登瀬の方が鶴姫とともに、見送ってくれている。昨夜は、お方が鶴姫を放さず、枕を並べて寝たということであった。

 しきりに恐縮する忠智に、「いや、良い」といいながら大門まで出た。

「恐縮にござります、これにて失礼させていただきます」

 平身低頭して、三人と別れた。

 大門を出て、三十間ほどのまっすぐな道を、走るように下ったところで、立ち止まって振りかえった。

 三人は、立ったままである。忠智は、丁寧に礼をした。

 道が、曲がって三人の視界から消えようとするとき、

「父上、おいしい魚と貝を食べに行きますよ」

 鶴姫の大きな声が、忠智の背後から圧(の)し掛かってきた。

 御屋形の面前である。どっと冷や汗が背筋を濡らした。

「そのことは言わないでくだされ」

 うろたえて手で制する忠智に鶴姫が大きく手を振っている。

姫のいたずらであった。

 姫から事情を聞いたのであろう、御屋形の哄笑がとどろいた。

「お待ちしております」

 忠智は、大きく腰を折って頭を下げると、早々に立ち退いた。

―やれやれ、姫のいたずらには参った。

 背に噴出した冷や汗が背筋を伝い落ちていく。阿波からの帰りに姫をわが娘として旅したこと、重役連中が知ったならどんな顔をするだろうか。

「姫を、なんと心得る、罰当たりめ」

 苦りきった重役連中の顔を、思い浮かべて苦笑した。

 夜明けの空に、輝きを失った月が大門の真上で白く浮かんでいた。

 さあ、わが城・四ッ地蔵城だ。

 しのが、さぞ心配しているだろう。

 御屋形は、忠智の舅・浜崎四郎兵衛を援軍にだして沈静をはかっているといわれた。いったい、どうなっているのか不安は消えない。

 足は速まり、走るように浅利へいそいだ。

 

出羽本城(いずはほんじょう)

 昼過ぎには、川根の湊に着いた。ここから温湯城へは、一日行程でしかないが、忠智は、ひとまず小笠原家の姻戚・高橋大九郎の城に入ることとした。江川の支流・川草川を辿れば、城まで二里ほどでしかない。大九郎久光の妻は、小笠原長弘の姉である。

 また、この高橋家は第十代毛利家当主興元の妻の実家でもある。後年、中国11か国の大守となる元就にとっては兄嫁の里となる。

 その領地は石見国の出羽と安芸国高田郡の北半分を領し、さらに山懸郡の東部にまで領有しているほどの勢力をもっていた。

 

 出羽本城が見えてきた。

「あの山上にある城が、高橋大九郎さまの出羽本城です。大九郎さまのお方さまは、鶴姫さまの母上・綾姫さまの伯母さまになります。先代御屋形(長弘)さまの姉さまです」

「堅固そうですね。それにずいぶんと山のなか」

「阿波の小笠原一族も峻険な山を利とした城を造っているではありませんか、四国では、阿波の『山岳武士』と恐れられています。石見の山などなにほどもありましょう」

「鶴姫さま、これで二人の旅は終わります、道中のご無礼、お許しください、『お鶴』と呼び捨てにしたこと、『父上』と呼んでいただいたこと、親のような言葉使いをしたこと全てに、お許しをいただきとうございます」

「もう、終りなのですか…・楽しい旅ができました。この思い出は、終生、大切にしていきたいと思っています」

「ありがとうございます、今日は、ひとまず出羽本城に入りまして、泊めてもらいましょう」

「でも、このまま、ずっと父上でいてほしい…・」

 鶴姫にとって両親との離別は、あまりにも突然であった。鶴姫持ち前の明るさで、離別の苦しみを覆い隠していたが決して忘れたのではなかった。必死に耐えている鶴姫をみる忠智の心も苦しくなった。

「いいよ、ただし、二人だけのときにかぎるよ」

 父の言葉遣いにもどった忠智の手を鶴姫が握ってきた。

「うん、うん。それでいい」

 大仰にうなずいた。目がくりくりとし、輝きがもどった。

 望楼を持つ大門に二人が近づいた。

「小笠原さま家臣、福冨七郎左衛門でございます。綾姫さま御息女・鶴姫さまをお連れしておりますゆえ、高橋さまに取次ぎ願いたい」

 居館から、あわてふためいて飛び出してきた大九郎夫婦が、ふたりの服装をみて一瞬とまどった。

「阿波の小笠原長重さまに嫁がれておられます綾姫さまの御息女・鶴姫さまにございます。仔細あって、それがしが阿波まで、お迎えに行きました」

 忠智が、膝を地につけてあいさつした。

「それは、ご苦労さまでした。さ、さ、遠慮のう、お入りください」

 高橋大九郎のお方が、鶴姫を導いている。

「綾は、いかがしたのでしょうか」

 鶴姫の服装から、何かを感じたお方の目には、すでに涙が充満していた。

 苦渋に満ちた忠智の顔からは、声がでなかった。

「仔細を聞くのは、後にせよ」

 大九郎がたしなめた。

 

 翌日、出羽本城を行列が出発した。

 輿を中心に、大九郎の重臣・佐々部多左衛門と忠智が騎乗で先導し、輿のすぐ後ろを女中二人がついている。後方は、武装した二十人の将兵が警護についた。

 鶴姫は、お方心づくしの衣装をつけ、つつましやかな立ち振る舞いにも凛とした気品が戻っている。すべて、大九郎が手配してくれた、きめ細かな気配りであった。

 昨夜は、お方がつききりで姫の世話をしてくれたらしい。男である忠智には気のつかない細やかな情を受け、鶴姫も、見違えるような柔らかさが戻っていた。優雅で美しかった。あらためて、やえを喪った重大さに心を痛める忠智であった。

―これで、鶴姫様を堂々と御屋形さまに、お渡しできる。

 忠智は、大九郎に感謝した。

出羽の盆地を抜けると、一気に山が高くなり谷も深くなった。山道はさらに狭く険阻になった。温湯城の後背を固める自然の要塞である。この道は、温湯城にとって山陽と城とを結ぶ重要な道となっており、「小笠原道」と呼ばれていた。

 行列は、一歩一歩ゆっくりと足元を確かめるように進んでいった。

 行列が止まった

「姫さま、温湯城でございます」

 下馬した忠智が、輿の横に片ひざをついた。

 戸が開けられ、重い着物をもてあますように、ゆっくりと鶴姫が出てきた。

 女中の揃えた草履を履いて立ちあがった。